横浜開港資料館

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館報「開港のひろば」バックナンバー

「開港のひろば」第126号
2014(平成26)年10月22日発行

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資料よもやま話
ジョセフ・ヒコと『海外新聞』

日本語で書かれた新聞は、ジョセフ・ヒコが1864(元治元)年に創刊した『海外新聞』から始まった。横浜開港資料館では、1985(昭和60)年2月から4月にかけて「ジョセフ彦と横浜の新聞」展を開催し、ヒコと『海外新聞』創刊の意義を中心に、日本の新聞誕生期における新聞と人びと、社会のかかわりを紹介した。その際、当館が所蔵するヒコの関係資料として、著作である『漂流記』上・下巻(1863年)、自伝(J・マードック編、The Narrative of a Japanese〔1892〕-1895年)を展示した。

今年は『海外新聞』創刊150年を迎える。「ジョセフ彦と横浜の新聞」展開催以降に収集したものを中心に、改めて関係資料を紹介したい。

ジョセフ・ヒコについて

ヒコは1837(天保8)年播磨国加古郡古宮村(現在、兵庫県播磨町)で生まれた。

1850(嘉永3)年13歳の時、栄力丸で航行中に遠州灘で遭難し、アメリカ商船オークランド号に救助され、サンフランシスコへ渡航した。1852年に乗組員と共にマカオに送られるが、帰国の目途がたたず、ほかの二人とともにアメリカへ戻り、後援者を得て教育を受けた。やがてカトリックの洗礼を授けられジョセフを名乗り、アメリカ市民権を得る。

1859(安政6)年にアメリカ領事館通訳として帰国、1864年に『海外新聞』を創刊した。明治時代になると、各種の事業も経営している。1897(明治30)年12月12日、心臓病で亡くなり青山霊園外国人墓地に眠る。60年の生涯だった。

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