横浜開港資料館

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「開港のひろば」第126号
2014(平成26)年10月22日発行

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企画展
「近代日本学のパイオニア」
−武田家と戸田家の寄贈資料から−

アーネスト・サトウの資料

当館ではこれまでにサトウを取り上げた展示を2回開催した。1985年の「幕末のイギリス外交官アーネスト・サトウ」展と、98年の「幕末維新期の英外交官アーネスト・サトウ その時代と生涯」展である。さらに2001年には集大成として『図説 アーネスト・サトウ 幕末維新のイギリス外交官』(有隣堂刊、在庫切れ)を刊行した。このような展示と出版が可能となったのはご子孫の武田家から当館に譲渡、あるいは提供していただいた多数の貴重な関係資料に負うところが大きい。

サトウは1871年頃に武田兼と結婚し、2男1女をもうけた。長女は幼い頃に病没し、80年に長男栄太郎が、83年に次男久吉が生まれた。武田家は、長男栄太郎が永住先のアメリカで亡くなったため久吉が継いだ。久吉はすぐれた植物学者となり、また日本山岳会の創設メンバーのひとりとしても知られる。久吉夫妻没後は、二人の娘、武田澄江・林静枝両氏が資料を守ってきた。

【図1】武田兼と栄太郎
【図1】武田兼と栄太郎

お二人が父親と祖父の遺品として手元に残してきた資料は、その後当館にご寄贈いただくようになり、現在ではサトウばかりか、久吉に関する主要な資料も当館蔵となった。

このような新収資料に例えば、サトウの墨書(図2)がある。著名な書道の師、高斎単山(光正)から明治6(1873)年にもらった号「静山」が記されている。日本人の手と見まちがえるような端正な字だ。

【図2】サトウの墨書「敬和」
【図2】サトウの墨書「敬和」

サトウがロンドンから栄太郎と久吉に贈ったチェスや競馬などのゲームセット(図3)も追加寄贈された資料だ。

【図3】明治時代のイギリス製ゲームセット
【図3】明治時代のイギリス製ゲームセット

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