横浜開港資料館

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「開港のひろば」第125号
2014(平成26)年7月16日発行

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企画展
通商条約締結150周年記念
スイス使節団が見た幕末の日本
カスパー・ブレンワルド日記を中心に

スイス使節団来日当時の横浜弁天通
(エーメ・アンベール著『幕末日本図絵』の挿絵)

『幕末日本図絵』はパリの出版社から刊行された。
スイス使節団来日当時の横浜弁天通(エーメ・アンベール著『幕末日本図絵』の挿絵)『幕末日本図絵』はパリの出版社から刊行された。

日本とスイスが通商条約を結んだのは文久3年12月29日(1864年2月6日)で、今年は通商条約締結150周年にあたる。当館では平成20年(2008)から条約締結使節団の一員として来日したカスパー・ブレンワルドの日記を、DKSHジャパン株式会社(ブレンワルドが1865年に設立したシイベル・ブレンワルド商会の業務を継承した会社)の協力を得て翻訳してきた。展示では日記を題材にして、幕府との交渉の様子や当時の日本の政治情勢を紹介している。

日記の著者 カスパー・ブレンワルド
日記の著者 カスパー・ブレンワルド

現在、日記の原本はスイスのDKSH社(DKアーカイブ)が所蔵しているが、同社のご好意によって展示への出品が可能になった。また、日記は、昭和41年(1966)にその存在が日本のマスコミに伝えられたが、今回の出品によって約50年ぶりにより多くの方々に内容を知っていただくことができるようになった。日記の内容については次頁以降で詳しく紹介するが、まず日記の著者であるブレンワルドとスイス使節団について簡単に紹介しておきたい。

ブレンワルドは、1838年にスイスのメンネドルフに生まれた人物で、使節団の一員として来日した時は24歳の青年であった。彼が横浜に到着したのは文久3年3月2日で、スイスと日本が通商条約を結んだのは約10ヶ月後のことであった。この間、使節団は攘夷の嵐が吹き荒れる日本で粘り強く交渉を繰り返した。また、ブレンワルドは、条約締結後、一時期帰国したものの、その後、生糸貿易に大きな足跡を残したシイベル・ブレンワルド商会を横浜に設立した。今回、公開される日記は通商条約締結時のものだけであるが、今後、当館では日記の翻訳を続け、シイベル・ブレンワルド商会の経営についても順次明らかにしていきたいと考えている。

ところで、今回の展示ではブレンワルドの日記のほか、スイス使節団の首席全権エーメ・アンベールが日本で入手した写真を複製で展示している。これらの写真はスイスのヌーシャテル民族誌博物館に所蔵され、現在、同館と東京大学史料編纂所古写真研究プロジェクトが共同で研究をおこなっている。今回の企画展示には両施設のご協力によって画像を提供いただいたが、このことについて深く感謝したい。

(西川武臣)

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