横浜開港資料館

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「開港のひろば」第125号
2014(平成26)年7月16日発行

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特別資料コーナー
横浜に里帰りした平山花火

明治時代には海外から様々なものが輸入された。化学薬品もそのひとつで、塩素酸カリウムなどの燃焼温度の高い薬品が花火に用いられ、それまでの「和火」に替わって「西洋花火」が打上げられるようになった。横浜では明治10(1877)年に平山甚太と岩田茂穂により、平山煙火製造所がつくられた。

当館は、2011年に常設展示室特別資料コーナーで「横浜を彩る花火」展を開催し、平山煙火の花火カタログ『大日本横浜平山夜煙火全図』や、フランス波止場で打ち上げられた花火の写真、花火業者の名刺などの資料を紹介した(『開港のひろば』113号)。

この展示をきっかけに、昨年10月、オランダ在住の勝山光郎氏とその友人古木修治氏・清水茂氏から、平山煙火製造所が作成した花火玉(図1)と、玉の中に詰められた袋物と呼ばれる紙製の人形(図2)を寄贈していただいた。

花火には夜花火と昼花火がある。袋物は日中打ち上げられる昼花火で、打ち上げられた後、空中で広がって空をフワフワと漂うというものである。平山煙火は、海外に花火を輸出していたが、輸出先は主にアメリカとヨーロッパだった。寄贈された花火も、デンマークのコペンハーゲンの花火師が、アメリカで入手し保管していた。1996年にコペンハーゲンで第4回EU・ジャパンフェストが行われた際、勝山氏と友人たちが日本の花火を打ち上げ、協力したこの花火師から浮世絵と交換で譲り受けたのだという。

花火玉は五寸玉(直径約14センチ)で、赤い漆が塗られている。平山煙火では輸出される花火玉に、夜花火は黒、昼花火には赤い漆を塗った。寄贈されたのは昼花火である。ラベルが三枚貼られている。平山の昼花火は、明治16年8月7日付で日本人最初の米国特許を取得したが、「DAY SHELL」と書かれた一枚には、特許を示す記載がある。他は、五重塔の絵が描かれたものと番号が書かれたものである。この玉の中には、商品番号151番で五重塔の形をした袋物が入っていたのかも知れない。

図1 平山煙火製造所の昼花火
図1 平山煙火製造所の昼花火

袋物の人形は、約2メートル15センチの高さの円筒形で、赤い帽子と服を身に着けた鼻の高い西洋人を表したものである。丈夫な和紙で作られた袋の下には金属の粒が付けられ、風をはらんでゆっくりと落ちるようにできている。一度打ち上げられたのか、焦げたような部分が見られる。

図2 人形(袋物)
図2 人形(袋物)

残念ながら、現在確認できる平山煙火の販売用カタログには、五重塔もこの人形も掲載されておらず、制作年は不明である。しかし、花火は打ち上げられて一瞬で消えてしまうものであり、残された資料は大変貴重なものである。

先頃、平山と岩田の後を継いで平山煙火を経営した小野栄之助の資料を含めた平山煙火製造所関係資料が、小野哲男氏より寄託された(『開港のひろば』124号)。この度、里帰りした花火と合わせて、特別資料コーナー展で紹介する予定である。

(上田由美)

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