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「開港のひろば」第123号
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資料よもやま話
周ピアノに出会った人びと
2 相模原・松尾家の周ピアノ
相模原市在住の松尾典子さんは母豊子から譲り受けた周ピアノを所蔵している。ピアノを購入したのは母方の祖父小田野彦也。東京音楽学校(現東京藝術大学)への受験を控えた豊子のために、周ピアノを購入した。
その当日の日記が残っている。「ヒアノ一台購入。日ノ出商会ヨリ調律師小平廣吉ノ周旋ヲ以テ所有ノピヤノヲ下ニ出シ新ニ中古品ヲ買入ル」と、昭和8年(1933)3月19日の頁に記されている。
ピアノの代金は割引価格で440円、それから下取りの150円を引き、290円を支払った。新品の周ピアノは900円くらいなので半額に近い値段だが、当時の高給取り、大卒国家公務員の初任給が七五円ほどなので、周ピアノは高価な買い物といえる。
なお、小田野彦也は元熊本藩士で、ピアノを購入した当時も細川家に仕えており、小田野家の自宅も東京目白台の細川家下屋敷(現新江戸川公園付近)の敷地内にあった。
初代亡き後の「初代ピアノ」?
松尾家の一台の製造番号は356番。鍵盤の動きを弦に伝える重要な部品、アクションは、カナダのオットーヒーゲル社製で、その製造年月日は1924年3月28日と刻印されている。この年月日が大問題である。これまで「S.CHEW」銘のピアノは初代周筱生が製作したものと考え、「初代周ピアノ」と称してきた。ところがこのピアノのアクションは周筱生が亡くなった翌年に作られたものである。したがって、このピアノは周筱生の作ではない。
震災で中華街の店舗は倒壊焼失し、周筱生もそこで命を落としたが、堀ノ内の工場は被害を免れていた。二代目の周譲傑が事業を継承するのは、昭和5年(1930)頃だ。それまでの間は、筱生夫人の李翠玉と職人たちが「S.CHEW」ピアノを製作していたのだ。この一・五代とも言うべき「S.CHEW」ピアノは、最近の調査で四台確認されている。