横浜開港資料館

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館報「開港のひろば」バックナンバー

「開港のひろば」第123号
2014(平成26)年1月25日発行

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資料よもやま話
周ピアノに出会った人びと

3 邑久光明園の周ピアノ

瀬戸内海に面した瀬戸内市邑久町の国立療養所邑久光明園の盲人会館に、一台の周ピアノがある。邑久光明園はハンセン病療養所である。

図5 邑久光明園の周ピアノ
2013年10月撮影
図5 邑久光明園の周ピアノ 2013年10月撮影

このピアノの旧蔵者は京都の山田佑子さん。山田さんが長年大切にしてきたピアノは、開業医の義父が昭和初期に入手したもので、「家宝として大切にするように」と伝えられてきた一台だ。高齢のため手放さざるをえなくなり、引き取り手を探していたところ、京都市で障害者に音楽を提供する活動をしている「光の音符」代表の西村ゆりさんと出会った。同会が資金をつのってピアノを修理し、2004年に光明園に寄贈した。

山田佑子さんの「佑」の字には深い意味が込められている。山田さんが生まれたのは、関東大震災が起こった1923年の横浜。臨月近くで震災にあった母が苦難の日々をくぐりぬけ、無事授かった子どもであることから、「天佑(天の恵み、天の助け)」の一文字をとって「佑子」と名づけられた。ピアノを造った周筱生は関東大震災で命を落としたが、震災後間もなくして生をうけた子が、一台の周ピアノを大切に守ってきたのも奇遇である。

さてこの一台はピアノそのものとしても面白い。まずピアノの外観、ケースだ。「S.CHEW」銘のピアノのケースの基本は、四角のモチーフが上部に三つ、下部に一つあることだ。その基本の上に、飾り彫りが施されていたり、足の形が異なったりと、いくつかのバリエーションがある。だが、邑久の一台は基本のデザインからして異なる。四角のモチーフは上部が横に二つ、下部は上下に二つである。また楽譜台に楽譜をとめる金の留め金がついている。

製造番号も謎だ。「3」の数字が三個所、「103」の数字が一箇所に刻印されている。三番だとすると、現在確認されている中で最も古い一台となるが、このピアノの解釈は今後の課題としたい。

ここで紹介した三台の周ピアノの購入者は、二台が地方都市の開業医、もう一台は東京の細川侯爵家に連なる人物であった。大正から昭和戦前期にかけて、ピアノの国内生産台数や輸入台数は増えたとはいえ、まだまだ高価であった。それを持つことができた人びとは、洋楽をたしなむ、開明的な富裕層であることが裏付けられた。

ピアノの調査で各地を訪れたが、そこには百年近くの歳月を経たピアノとともに、それぞれの持ち主の物語があった。ピアノは単なる楽器ではなく、人生の伴侶なのである。

本稿作成にあたり、岩手県立図書館、邑久光明園、金地慶四郎、佐々木紅子、西村ゆり、平井篤、松尾典子の各氏にお世話になりました。謝意を表します。

(伊藤泉美)

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