横浜開港資料館

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館報「開港のひろば」バックナンバー

「開港のひろば」第115号
2012(平成24)年2月1日発行

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展示余話
所蔵資料の来し方、行く末

19世紀、生糸につぐ輸出額を記録したのが茶である。日本茶は主に北米大陸で消費された。海を渡る茶箱に貼られたフレーザー・ファーレ&ヴァーナム社の商標「ミカド・チョップ」【図3】は、『横浜史料』に加山道之助氏所蔵「輸出茶箱レッテル」とあるものと思われる。茶箱商標は19世紀のうちは輸出商の名前が記されるが、20世紀になると−理由は不明であるが−無記名か、北米取扱商の名入れになってしまう。当館所蔵の茶箱商標のうち、横浜の輸出商名のものは極めて少なく、今後の収集課題である。『横浜史料』には多くの加山氏所蔵資料が掲載されているが、その後の横浜市がこれを体系的に受け入れたものか、今日では不明となっている。

図3 フレーザ・ファーレ・バーナム社「ミカド・チョップ」
 加山道之助氏旧蔵・当館蔵
図3 フレーザ・ファーレ・バーナム社「ミカド・チョップ」 加山道之助氏旧蔵・当館蔵

その他寄贈資料

横浜在住の医師・故亀田威夫(たけお)氏のコレクションで最大のものは、忠臣蔵・赤穂義士研究資料の『亀田文庫』として、横浜市中央図書館に収蔵されている(1982年受入)。当館には受け入れ時期は不明で、数は多くはないものの、「亀田蔵書」の押印のある資料・図書が存在する。「展示」では、「御免神奈川横浜行蒸気早船所(ごめんかながわよこはまいきじょうきはやぶねしょ)」(慶応元年正月【図4】)と題した引き札を出陳した。江戸〜神奈川〜横浜を結んだ、初めての定期蒸気船「稲川丸」の広告である。当初これが「稲川丸」のものか若干不安があったのは、江戸の待合所がこれまで知られていた「永代橋」でなく、「鉄砲洲本湊河岸(てっぽうずほんみなとかし)」となっていたことである。その不安は、資料を封入していた封筒の中に、「鉄砲洲」の上に貼られていた「当分之内永代橋きはふじ店待合所」の付箋が残っていたことにより氷解した。いずれかの時期に剥離したものであろう。また、医師でもある亀田氏が寄贈された資料として、当館には「横浜病院規則」(明治5年)があるが、保存状態などの観点から、五味亀太郎文庫所収のものを展示した。

図4 江戸−神奈川−横浜を結んだ定期蒸気船「稲川丸」の引き札 慶応4(1868)年1月
運行開始は2月であった。
図4 江戸−神奈川−横浜を結んだ定期蒸気船「稲川丸」の引き札 慶応4(1868)年1月 運行開始は2月であった。

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