企画展
「太平洋を越えて 横浜&バンクーバー」展出陳資料より
カナディアン・パシフィック鉄道とバンクーバー
現在のカナダ国家の成立は、1867年、東部の4つの英領植民地が統合して、自治領カナダを結成したことにはじまる。その後西海岸のブリティッシュ・コロンビア植民地も自治領カナダに入り、1881年、東西を結ぶ大陸横断鉄道、カナディアン・パシフィック鉄道会社
Canadian Pacific Railway Company(以下CPR社)が設立された。
1886年7月4日、最初の大陸横断鉄道の列車が西部の終着駅ポート・ムーディに到着した。この駅はのちのターミナル駅より内陸部にあった。太平洋航路開設の構想をもっていたCPR社は、鉄道と汽船のターミナルとしてより良い場所を求めて政府に働きかけ、入り江に面した広大な土地を獲得した。それが現在のガスタウン一帯である。ここには駅や港湾施設、ビル、住宅などが次々と建てられ、都市の基礎が整備されていった。
バンクーバーでは初期の都市建設はおもにCPR社をはじめとする民間の地権所有者によって担われた。この点が開港場建設の主体が幕府という公であった横浜と根本的に異なる。図1は1908年の駅周辺の光景である。中央の塔のある建物が駅舎で、一帯には鉄道敷地、波止場、ドックなどCPR社の施設がならび、同社がいかにウオーターフロントの一等地を占有していたかを示している。
図1 バンクーバーのターミナル駅と港 バンクーバー中央図書館蔵 No. 10008
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