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館報「開港のひろば」バックナンバー


資料よもやま話1
大同学校校舎?いえ、幻のクラブ・ハウス

  これまで横浜大同学校の校舎と紹介してきた写真が、実は2年あまりしか存在しなかった、ある建物の写真であることが判明した。ここではその点について訂正し、お詫び申し上げるとともに解説したい。

  横浜大同学校は1898年に設立された横浜の中国人の教育機関である。図1「横浜大同学校兵式体操図」は『新民叢報』第9号(光緒28(1902)年5月1日発行)に掲載されたものである。制服を着た生徒がずらりと並び、「横浜大同学校」の旗を掲げていることから、背景の建物は大同学校の校舎であると早合点してしまった。写真の説明には「横浜大同学校兵式体操図」とはあるが、「横浜大同学校」とは書かれていない。では、背景の建物は一体何なのか?

図1 横浜大同学校兵式体操図 国立国会図書館所蔵


幻の3代目

 生徒たちの後ろに立つ建物は、木造2階建てで、1階部分が前面吹き放しのポーチとなっており、左右にはそれぞれ四角と円形の張り出した部分を持つ。この建物の正体は、近代建築史の専門家、文化庁の堀勇良氏よりご指摘いただいた。

  これは横浜公園の中にあった、横浜クリケット&アスレチック・クラブの3代目クラブ・ハウスである。

 横浜クリケット&アスレチック・クラブは、1884年に横浜クリケット・クラブ、横浜アマチュア・アスレチック・アソシエーションなど4つの組織が合同して結成された居留外国人のスポーツ団体で、現在も横浜カントリー&アスレチック・クラブとして存続している。

「開港のひろば」第89号
2005(平成17)年8月3日発行

表紙画像
企画展
ドン・ブラウンと戦後の日本
企画展
「ドン・ブラウンと戦後の日本」展から
展示余話
イタリア使節アルミニヨンと神奈川台場
資料よもやま話1
大同学校校舎?いえ、幻のクラブ・ハウス

幻の3代目
クラブ・ハウスの焼失
『大同同学録』
資料よもやま話2
横浜に映画館がなかったころ
閲覧室から
新聞万華鏡(20)
明治初年の外国新聞
資料館だより

  1898年12月10日号および17日号の『ジャパン・ウィークリー・メイル』によれば、初代のクラブ・ハウスは、1870年代前半に横浜公園の西隅に建てられた。確かに1880年代初頭の写真を見ると、公園の端に平屋建ての建物が確認される。その後1884年に2階部分を増築し、2代目のクラブ・ハウスとしてスタートした。この年は組織の合同が行われた年にあたる。

  やがてこの建物も手狭になったため、1897年の年次大会で建て替えが決議された。そして、1898年に3代目クラブ・ハウスが竣工した。設計者はJ・M・ガーディナーである。

  この新しいクラブ・ハウスはマツ材を使った2階建てで、色はダーク・レッド、屋根には時計台が設けられていた。時計台は図1の右側円筒形部分の上部になるが、図2ではそれがはっきり確認できる。

  建物の1階にはバー・更衣室・入浴室・スポーツ用品の倉庫などの設備が整い、2階には昼食やアフタヌーン・ティーが楽しめる大広間や会議室があった。

  開所式は12月10日に開かれ、会長のモリソンは挨拶の中で3代目クラブ・ハウス完成にいたるまでの長年の労苦を述懐した。また当日は記念のフットボール大会や自転車競技会が賑やかに行われた。


図2 3代目クラブハウス 
坂本勝比古著『明治の異人館』より


クラブ・ハウスの焼失

  しかし、待望の3代目クラブ・ハウスの寿命は短かった。1901年2月14日18時15分、消防署に火事発生の一報が入る。消防隊は現場に急行したが、木造ゆえ火の手がはやく建物は全焼した。わずか2年あまりしか存在しなかったため、この建物の写真は、現在2枚しか確認されていない。

  図1は1902年出版の『新民叢報』に掲載された写真だが、撮影はクラブ・ハウスが焼失する1901年2月14日以前である。「横浜大同学校」の旗を掲げているので、横浜公園で行われた何らかの集まりに参加した際の記念写真だろうか。なお、その後3代目のイメージを踏襲した4代目クラブ・ハウスが築かれるが、時計台は復活しなかった。


『大同同学録』

  大同学校の開学と2代目クラブハウスの創建は、ともに1898年のことである。大同学校の校舎については、「1922年、航空写真に見る中華街」(『開港のひろば』第85号)に写真を掲載したので、そちらを参照されたい。なお、校舎の写真や「横浜大同学校兵式体操図」など、大同学校関係の貴重な写真を収録した馮錦龍編『大同同学録』(宣統元(1909)年刊)を広東省立中山図書館が所蔵している。この度、神戸の孫中山記念館のご仲介により、当館でその複製を閲覧公開することができた。請求番号はA376-5-Cである。

(伊藤泉美)





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最終更新日2006年8月20日  Last updated on Aug 20, 2006.
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