資料よもやま話2
O. M. プールと息子リチャード
ヴァージニア州マクリーン
さて話は元に戻る。リチャード・A・プールの住所を教えてもらった筆者は、早速手紙を出した。が返事はなかった。高齢でもあり、病気あるいは筆不精ということも考えられる。そのまま時は流れたが、今年1月、なかばあきらめつつ再度手紙を出してみたところ、なんとEメールが届いたのである。リチャードに代わってジリアン夫人からのメールであった。リチャードの父チェスターが残した写真や文書があること、それらは整理を必要とするが、日本の機関で関心があるところがあれば寄贈してもよい、という内容だった。
Eメールが何回か行き交った後、ヴァージニア州マクリーンにプール夫妻を訪問する段取りとなった。3月15日、ワシントンDCの中心部から車で30分ほど北西に向うと、林の中に閑静な住宅地があり、その一角にプール家があった。夫妻と愛犬サムが暖かく迎えてくれた。
リチャード・A・プール氏
ヴァージニア州マクリーンの自宅にて

リチャードの経歴
リチャード・A・プール氏は現在85歳。父チェスターの資料をある程度選り分けておいてくれたが、なお発掘の真っ最中であった。
氏が語るところによれば(それを父チェスターが作成した伝記資料で補うと)、6歳でアメリカに戻ったリチャードはニュージャージーで育ち、ペンシルヴェニア州ハヴァフォード大学で政治学を専攻した。国際法・軍法・海事法、歴史、フランス語やドイツ語も学んだという。
卒業後は国務省の外務職員局に入り、最初の任地はモントリオールの副領事で、1943年バルセロナに赴任。1945年、国務省から入隊許可を得て海軍に入った。部隊は当初九州侵攻のはずだったが、日本の降伏によって、はからずも生まれ故郷の横浜の桟橋に降り立つことになったという。1945年9月のことであった。
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