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館報「開港のひろば」バックナンバー


資料よもやま話1
渡辺修二郎の横浜史料(下)


渡辺修二郎の経歴

 前号では、渡辺が「朶撫流」や「朶撫流散史」名で日欧の歴史・交渉史を物した民間の歴史家とでもいうべき姿を紹介した。

  晩年の著作『近世叢談』は、それまで雑誌新聞に寄せた論考を中心に編んだ本だが、同書中の「学習院初期の思ひ出」や著者紹介によれば、渡辺は、安政2年(1855)福山藩生れ。東京英語学校や立教学校に学び、明治11年(1878)仙台中学校、ついで華族学校(学習院)の英語教師となり、のち大蔵省御用掛、山口県内務部長を歴任、34年(1901)ドイツに出張した。滞独中、かつて陸奥宗光から贈られた外務省本『蹇々録』の英訳版刊行を企図したが、駐独公使の勧告で中止した(これ以前、32年に無号外史の筆名で東陽堂から『外交始末蹇々録』を出版、直ちに発禁処分を受けたという。『明治文化研究』4巻4号)。帰朝後は官途を退き著述業に専念したと記すが、既に日欧文化史全般にわたる多数の著作家、また蔵書家としても知られ、清水卯三郎やアーネスト・サトウ、竹内綱、陸奥らと多彩な交際があった。日清戦後、『外交通商史談』の執筆に際してサトウから指導を受け、英国公使館内の彼の書斎で蔵書を自由に閲覧する特例を与えられていたという。


渡辺の横浜史料

  現在、横浜市中央図書館が所蔵する「横浜開港地割ノ図」「横浜村真田家固ノ図」(図(4))「寅三月十三日神奈川ヨリ異船ノ退帆ヲ観ル図」、この他蒸気船や献上品を描く幾つかの瓦版に、「横浜村並近傍之図」と同じ印影があり、渡辺の旧蔵史料であることが分かる。


図(4)「横浜村真田家固ノ図」横浜市中央図書館所蔵。
中央上部に図(2)と同じ印影がある。

「開港のひろば」第88号
2005(平成17)年4月27日発行

表紙画像
企画展
神奈川お台場の歴史
企画展
神奈川台場保存運動の系譜
展示余話
「100年前の横浜−『横浜案内』の世界−」展『神奈川写真帖』の魅力
資料よもやま話2
O. M. プールと息子リチャード
閲覧室から
新聞万華鏡(19)
明治初年の村と新聞
資料館だより

 「地割ノ図」は標題の下に署名「朶撫流」と押印があり、様式や右肩上がりの特徴的な字体から、「近傍之図」と同時期に渡辺が筆写した地図と推定出来る。本図も、『横浜市史稿』附図編に復刻された。当館蔵五味文庫に、これと類似の地図がある。旧蔵者の『家蔵横浜文献目録』は「横浜之図 (神奈川奉行所)御普請役市村貫吉写図」と記す。他に、市村が慶応元〜2年に筆写した絵図や役宅図、手当書留等があり、本図も慶応期の写しと思われる。渡辺本に較べ書込や附箋など情報量が多く、渡辺本の元図だったかも知れない。

  「真田家固ノ図」「退帆ヲ観ル図」は、ペリー来航当時の騒動を描いた風俗画だが、同館所蔵の「神奈川宮河岸ノ図」「鶴見橋ヨリ望異船図」も、印影こそ無いが、これらと一連の渡辺の旧蔵史料と思われる。


図書館の収集時期

  それでは、いつ、どの様な事情でこれら史料が横浜市の図書館に収蔵されるに至ったか。同館に収集経緯に関する記録は無いという。

  明治42年(1909)、横浜開港50年記念史料展覧会が開催された。これは、開国開港史料を体系的に集めた、恐らく我が国で最初の展覧会と思われる。渡辺は、17世紀の長崎出島図はじめ多くの貴重な渉外史料、文献、横浜絵、瓦版、地図、新聞雑誌を出品したが、本稿で紹介している史料は含まれていない。

  横浜市中央図書館の前身、横浜市図書館は大正10年(1921)六月に仮設館で閲覧を開始した。開館直前の同年2月『横浜市文献目録』(同館建設事務所)に「近傍之図」「地割ノ図」はなく、関東大震災の翌13年同館『横浜古図錦絵展覧会出陳目録』に、初めて登載された。渡辺が震災で蔵書を焼失した図書館に寄贈したものか、或いは図書館が購入したのか。目録によれば、両図は開港初期の絵図錦絵8点と共に1本に軸装され、昭和6年(1931)の『本館所蔵横浜開港時代参考資料目録』にも、同じ形態のまま記載されている。そして翌7年、両図は『横浜市史稿』で広く紹介された。

  また、黒船騒動を描く風俗絵画は、管見では昭和戦前期の目録類に見出せず、昭和29年の蔵書目録『開港関係資料目録』が最初となる。

  「近傍之図」の成立は、説明書や資料目録等から、少なくとも市制施行以降に属し、明治後期か或いは関東大震災頃まで下るかも知れない。

  一方、風俗画の作成時期、地図との関係、図書館の収集経緯など不明だが、その成立年代については絵画史からの検討も期待したい。


渡辺のその後

  退官後の著述業という以外、渡辺の動向は余り明らかでないが、昭和7年(1932)8月から17年5月官制廃止までの約10年間、維新史料編纂会委員を務めた。この間、『歴史学研究』15年11月号に「鹿児島の対外戦闘並に償金交付の始末」を寄稿、文中サトウの直話を披露している。編集後記に「渡辺翁は明治維新の生きた体験者であり、実に生きた明治史ともよぶべき方である」、論文掲載には原平三・石井孝両氏から協力を得たとある。石井は、戦後『横浜市史』常任編集委員として港都横浜の歴史を叙述する。

 成稿にあたり、横浜市中央図書館の久野淳一氏から多大なご協力、ご教示を賜りました。

(佐藤 孝)





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最終更新日2006年8月20日  Last updated on Aug 20, 2006.
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