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館報「開港のひろば」バックナンバー


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新聞万華鏡(15)
関口昭知と新聞

 関口昭知(1857〜1943)は、横浜市鶴見区の旧家関口家の5代当主です。明治15年(1882)6月、25歳で家督を相続しました。当館では、以前『市制施行と横浜の人びと―明治20年代の横浜―』(昭和63年)で昭知をとりあげています。昭知は、明治10年に第三大区四小区生麦村総代人に選ばれたのをはじめとして、明治12年に同村会議員、明治22年に生見尾村会議員、同村助役、明治27年には同村長をつとめています。明治36年には橘樹郡会議員に、明治40年には神奈川県会議員に当選しました。

 昭知の書いた『関口日記』は明治34年まで残されていますが、そこには、新聞に関する記述が見られ、必要な情報を得たり反対に情報を流したり、地域の一有力者がどのように新聞と関わっていたのかを知ることができます。


関口家と新聞

 関口家が明治9年7月に最初に購入したのは庶民向けの『読売新聞』でしたが、明治13年1月からは、『東京横浜毎日新聞』を購入しています。この新聞は、『横浜毎日新聞』が明治12年に東京に本局を移して改題したもので、当時の五大新聞の一つでした。後に立憲改進党の機関紙となり、『毎日新聞』と改題します。


大日本帝国憲法の発布

 明治22年2月11日、日本最初の近代的成文憲法である大日本帝国憲法が発布されました。当日、昭知は、青山練兵場での陸海軍観兵式を終え皇居にもどる明治天皇の行列を門外で迎え、その足で京橋区尾張町新地(現在中央区銀座5丁目)にあった毎日新聞社に行き、同社の肥塚龍の紹介で立憲改進党に加盟しています。その後、たびたび同党の演説会などの集会に参加します。

16日には、安養寺本堂で、生麦、子安、白幡、鶴見4ケ村の有志が懇親会を開き、憲法拝読と憲法発布に際して80歳以上の村民に贈られた養老賜金を渡しています。昭知は懇親会の様子を『毎日新聞』に投稿し、2月21日の紙面に詳細が掲載されました。


禁酒会

 新聞には様々な集会の広告が掲載されています。昭知は、『毎日新聞』の広告で、明治25年10月22日に、尾上町会堂で横浜日本禁酒会中央部の演説会があることを知り、出かけています。そこで、万国禁酒会特派委員ウェスト嬢の演説及び津田仙の禁酒演説、並びに安藤太郎の禁酒会員募集上の演説に接し、感動して禁酒会へ入会しました。12月1日には、『禁酒会雑誌』11部を役場や学校、毎日新聞社などに配り、熱心に活動しています。

「開港のひろば」第84号
2004(平成16)年4月28日発行

企画展
開国150周年「ペリー来航と横浜」
企画展
「ペリー来航と横浜」隊員の日記や海図から
資料余話
ドン・ブラウンの上司、W・フライシャー
資料よもやま話1
ペリー来航前夜の江戸防衛計画
資料よもやま話2
横浜資料の宝庫−館蔵諸文書
資料館だより


薬販売広告


 昭知は、明治30年12月31日に諸売薬類化粧品販売業を開業しました。翌年4月28日付の『毎日新聞』に「醸造物飲食物へ発生する害虫駆除薬」の広告を出しています。この薬は除虫菊から精製したもので、「無害にして有効なること頗る著大」であると宣伝しています。

 新聞が唯一のメディアだった時代、このように利用されていたようです。

(上田由美)


薬販売広告『毎日新聞』明治31年4月28日





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最終更新日2006年8月20日  Last updated on Aug 20, 2006.
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