横浜開港資料館

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館報「開港のひろば」バックナンバー

「開港のひろば」第146号
2019(令和元)年11月2日発行

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企画展
特設消防署の誕生
―横浜市中消防署の源流―

1919(大正8)年7月16日、勅令第350号で特設消防署規程が公布され、大阪府、京都府、神奈川県、兵庫県、愛知県に専任の消防職員を配置することになった。それと同時に、大阪市、京都市、横浜市、神戸市、名古屋市の五都市に特設消防署を設けることとなり、横浜市では、同年9月1日に消防自動車を備えた第一消防署(現・西消防署)と、第二消防署(現・中消防署)が誕生した。従来、横浜市内には、蒸気ポンプを運用する常設の伊勢佐木消防組や戸部消防組、ガソリンポンプ自動車を装備した薩摩町消防組などがあったものの、消防の主力は非常勤の消防手によって構成された各警察署単位の消防組(現在の消防団に該当する組織)で、主な装備は腕用ポンプと水管であった。そのため特設消防署の誕生は横浜の消防にとって大きな転換点となった。しかしながら、そこへ至るには幾多の紆余曲折があった。ここでは特設消防署誕生までの経緯をたどってみよう。

2種類の消防組織

1894(明治27)年2月9日、全国共通の消防関係法令である消防組規則(勅令第15号)が制定され、各地の消防組はこれに基づき、組織されることになった。消防組規則には、警察官による消防組の指揮・監督や構成員の任免、また、市町村による経費負担などが定められていた。つまり、消防組は運用面では府県に属する警察の管轄下に置かれる一方、人件費や装備費は市町村の意向に左右されることになった。

続いて同年5月6日、神奈川県は県令第19号で消防組規則施行細則を、第20号で消防組の設置区域名称人員表をそれぞれ制定、消防組規則に基づき、消防体制を整備していった。この時、現在の横浜市域では、伊勢佐木、石川、山手(以上、横浜市)、中村、太田、戸部、本牧、根岸、六浦荘、金沢(以上、久良岐郡)、神奈川、保土ケ谷(以上、橘樹郡)、戸塚(以上、鎌倉郡)の13個の消防組が誕生する。各消防組は警察署の指示のもと、出火の際は消火活動を展開していった。

他方、同時期、横浜居留地には、外国人の出資による居留地消防隊が山下町238番地に存在、石橋六之助などの日本人を雇って2台の蒸気ポンプを運用していた。この消防隊は所轄の加賀町警察署と協力しつつも、横浜市の介入を受けない独自の存在であった。その後、1895年3月、県令第4号に基づき、加賀町警察署管内に居留地消防隊とは別の加賀町消防組が組織される。つまり、居留地は日本人と外国人の2種類の消防組織に守られることになった。さらに1899年7月に居留地が撤廃されると、居留地消防隊も改編され、10月31日の県令第75号に基づき、薩摩町消防組となった。この構成員は組頭1人、小頭2人、消防手61人の計64人で、加賀町警察署管内の山下町と山手本町警察署管内の山手町を管轄区域とした。居留地消防隊も消防組規則の基づき改編されたが、その費用は引き続き外国人の寄付によって賄われた。

山下町238番地の居留地消防隊事務所 『日本絵入商人録』 当館蔵
山下町238番地の居留地消防隊事務所 『日本絵入商人録』 当館蔵

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