横浜開港資料館

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館報「開港のひろば」バックナンバー

「開港のひろば」第145号
2019(令和元)年7月20日発行

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展示余話
ロシエ「神奈川湊」再論

三 ロシエ「神奈川湊」の意味するもの

以上、みてきたように、開港以前の神奈川湊における物資の荷揚げは、台町下に停泊地する廻船からハシケに積み替え、下台町の海沿いに位置する廻船問屋の「サン橋」へと運ばれていた。しかし、開港直後、廻船からの荷揚げ場所は、青木町洲崎明神前の「宮ノ川岸」に限定された。

それまで各廻船問屋の桟橋において行われていた廻船の荷物の揚げ降ろしが禁止され、荷揚げ場所が1か所に限定された結果、各廻船の荷物の荷揚げは「宮ノ川岸」に集中することとなる。当然、利用に関する一定のルールは廻船問屋たちにより取り決められたものと思われるが、それまで比較的余裕があったであろう廻船一艘当たりの荷揚げ時間は、場所の限定に伴う業務の集中化に伴い、より限定かつ短縮化されるようになったと考えられる。

そして、限定された荷揚場において荷揚げに要する時間をなるべく短縮するため、ハシケへの積み替えと河岸への荷揚げが可能となる一定の潮位に達した瞬間から直ちに同業務に着手できるように、廻船本体を唯一の荷揚げ場である青木町の「宮ノ川岸」にできるだけ近づけておくことが必要だったのであろう。

したがって、ロシエ「神奈川湊」にみえる情景は、開港直後における荷揚げ場が限定されたという特殊な条件下のものということになり、開港以前における神奈川湊の一般的な情景とすることはできないということになる。

(斉藤 司)

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