横浜開港資料館

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「開港のひろば」第145号
2019(令和元)年7月20日発行

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企画展
開港前後、横浜の港と町
神奈川県立公文書館蔵永嶋家文書と手中明王太郎家史料から

波止場の建設をめぐって

横浜といえば港。その港の象徴といえば、明治から現在にいたるまで大さん橋、つまり波止場であると言ってよいだろう。そして、大さん橋の前身が「象の鼻」と呼ばれる湾曲した波止場(慶応3年・1867完成)であることも、ご存じの方が多いようだ。

しかしながら、安政6年(1859)の横浜開港時に築造された2本の波止場、つまり大さん橋や象の鼻のルーツにあたるもっとも初期の港湾施設(イギリス波止場(東波止場)・税関波止場(西波止場))については案外知られていない。

この波止場の建造工事は、現在の埼玉県深谷市高島で村の名主をつとめた笹井万太郎敏捷が請け負った。開港業務を担当した幕府の徒目付刑部鉄太郎政好が記した手紙に、「横浜江波戸場築立落札代金壱万六千八拾両、大久保淡路守知行所榛沢郡高嶋村名主万太郎へ請負被申渡候」(安政6年4月23日付)とあるのがその根拠で(阿部征寛「堀口貞明関係文書」『横浜開港資料館紀要』第8号、1990年)、現在これが通説となっている。

ところが今回、神奈川県立公文書館に所蔵される相模国三浦郡公郷村(現横須賀市)永嶋家文書のなかに、「横浜村波戸場仕様帳」「波戸場諸色其外直段取調書」と題された古文書を見出した。これらの記録は、笹井とはまた別の者が横浜の波止場建造に関わっていたことを示唆する。

図1 「横浜村波戸場仕様帳」神奈川県立公文書館蔵
図1 「横浜村波戸場仕様帳」神奈川県立公文書館蔵

前者(3丁)は、「波戸場長六拾間〈馬踏巾五間・敷巾弐拾弐間半・高平均三間半〉弐ヶ所」という規模の波止場の築造方法(「仕法」)を記した技術的な書類である。表紙には「永嶋扣(控)」の文字が見られることから、提出したものの写しであろう。年代は記されていないが、波止場の長さ(60間=約110メートル)と「直段取調書」の年代から、安政6年に築造された横浜村の波止場のものとみて間違いない。

もう一冊(5丁)は波止場建造にあたり、資材の単価・工賃などを次のように書き上げたものである。

一土丹岩立坪壱坪ニ付築手間共
   代銀 四十四匁
    内 三十九匁   石代
        五匁   手間代

こちらの資料には波止場の場所は記されないが、資料末尾の「未三月」(未年=安政6年)という年代と前者の資料の存在から、これも横浜村の波止場築造に関する資料と推測できる。

永嶋(庄兵衛)家といえば、江戸時代を通じて公郷村(現京急県立大学駅付近)の名主をつとめ、三浦半島を警備した諸藩からも地域運営や海防に関わるさまざまな役割を任された地域の有力者である。のみならず、弘化・嘉永期(1844〜1854)には猿島台場・鴨居三台場(現横須賀市)の建設を請け負い、安政元年(1854)には品川台場(内海御台場)の石材の切り出しと運搬にもあたっている(神谷大介「幕末の台場建設と石材請負人」小田原近世史研究会編『近世南関東地域史論』岩田書院、2012年)。幕末江戸湾岸の石造建造物の工事にはたびたび顔をのぞかせる大物業者である。

ところが、公郷永嶋家の横浜開港場建設への関与はこれまで知られていない。周辺の記録を確認すると、江戸の土木請負業者平野弥十郎の回想日記に「此度開港に付(中略)諸方より身分持る者を呼出し、追々入札申渡す。(中略)田戸(公郷永嶋家・引用者注)庄兵衛一名に入札せし処、石崎の道普請落札せし」(桑原真人・田中彰編『平野弥十郎幕末・維新日記』北海道大学図書刊行会、2000年)とあって、東海道から横浜近辺に通じる道路(「横浜道」)の工事を落札した事実はあるようだ(横須賀市が所蔵する永嶋家文書(約2000点)にも関連文書がある)。しかし、開港場最大の工事である波止場築造に永嶋家が関わったことは研究者間でも知られていない。これは、県立公文書館所蔵分の永嶋家文書の公開がここ15年ほどの間にはじまったことも関係しているのだろう。

気になるのは波止場建設を請け負ったとされる笹井万太郎と永嶋庄兵衛の関係である。永嶋は建造方法について助言しただけなのか、あるいは笹井から実際の工事を下請けしたのか。ほかに関係資料を見出していない現段階ではなんとも断定できない。しかし、永嶋の経歴とこの文書の存在から、彼が横浜の波止場建設にあたって重要な役割を果たしたのは間違いないだろう。横浜の港のルーツを明らかにするうえで、今後も調査を継続していきたい課題である。(なお、永嶋家文書が神奈川県立公文書館にも所蔵されていることは、同館の椿田有希子氏より教示を得た。)

図2 横浜の波止場「増補再刻御開港横浜之全図」 五雲亭貞秀画
元治元年(1864)頃 当館蔵 左がイギリス波止場、右が税関波止場。
図2 横浜の波止場「増補再刻御開港横浜之全図」 五雲亭貞秀画 元治元年(1864)頃 当館蔵 左がイギリス波止場、右が税関波止場。

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