横浜開港資料館

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「開港のひろば」第144号
2019(平成31)年4月27日発行

表紙画像

ミニ展示
神奈川開港

160年前の安政6年(1859)6月2日、横浜は開港した。よく知られているように、修好通商条約では「神奈川」の開港が定められており、開港直前の同年2月段階でもアメリカ総領事ハリスは神奈川宿(現神奈川区)付近を開港場とすることを主張していた。

開港準備にあたった外国奉行は「横浜村并(ならびに)神奈川宿両所にて取調罷在(まかりあり)」(安政6年2月22日付、『幕末外国関係文書』22)と、神奈川(宿)に開港場を開く可能性も念頭に置いており、「外国之者ハ縦令(たとえ)神奈川江居留(きょりゅう)相成候とも御国民者(は)横浜之方江御引移ニ相成候方可然(しかるべし)」(同前)と、まずは日本人を横浜村、現在の関内地区に住まわせるものの、外国人が神奈川に居留することになってもやむをえないと考えていた。実際、欧米諸国が開港当初に外国公館(領事館)を置いたのは神奈川だった。

図版 「五ヶ国御貿易場」 安政6年(1859) 当館蔵
図版 「五ヶ国御貿易場」 安政6年(1859) 当館蔵
「五ヶ国御貿易場」拡大図

資料は開港前後の開港場の情報を記した摺物で、縦に細かく折れ線が入っていることから、実際に扇に貼られて使用されたものと思われる。資料下部の地図には手前(下)に神奈川宿が、中央には横浜の日本人町が描かれる。現在の中区山下町に発展する外国人居留地がこの地図ではほぼ省かれ、異国情緒の香り薄い神奈川宿が大きく配置されるのはやや意外に感じられるかもしれない。しかし、この摺物のフレーミングから、外国人居留地の位置がいまだ不明確だった開港前後の神奈川・横浜の情況を私たちは知ることができる。

5月1日(水)から6月30日(日)まで開催するミニ展示では、開港前後の「神奈川」に関わる資料を展示する。

(吉崎雅規)

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