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「開港のひろば」第123号
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都発企画展
開港されなかった江戸
横浜都市発展記念館特別展・横浜開港資料館共催
「港をめぐる二都物語 江戸東京と横浜」より
品川の幕府艦隊
開港後の横浜には欧米の艦船が定期的に寄港し、極東における列強の軍事拠点に変貌していくが、それに対峙するかのように増強されてきた幕府海軍が、品川を根拠地としていたことはさほど論じられていないようだ。
「海舟日記」(文久2年11月29日付、東京都江戸東京博物館蔵)には、幕府艦船蟠龍が浦賀での修理を終えて「品海」(品川沖)に廻航されてきたこと、品川には咸臨・朝陽・順動の幕府艦船が停泊しており海舟が「巡見」したことが記されている。また、慶応3(1867)年の史料では、同じく蟠龍が横須賀製鉄所で修理をおこない、「品川沖へ帰帆」したことが届け出られている(「蟠竜御船横須賀表製鉄所ニ而修復出来ニ付品川沖江帰帆仕候儀書付」国立公文書館多聞櫓文書蔵)。【図5】の錦絵は品川沖に碇泊する幕府の蒸気船を描いたものである。
文久3(1863)年以降横浜には英仏の軍隊が駐屯し、横浜港には欧米の軍艦もしばしば碇泊するようになった。幕府海軍は品川を拠点として、江戸湾内で軍港化しつつあった浦賀・横須賀と連携して海軍力を整備していく。この背景に、横浜港に碇泊する外国艦隊に対抗して、江戸を外国に開くまいとする幕府の意図を見ることもできるだろう。
今回の特別展では、海外との交流に目が向けられがちな幕末期の横浜について、むしろ江戸との関係を視野に入れることに留意した。そして開港された横浜に対して、開港されなかった江戸についても、港や海をめぐるさまざまな展示資料から解説している。展示第二章の明治編、第三章の昭和戦前編とあわせて、ふたつの都市の港をめぐるストーリーをお楽しみいただければと思う。
(横浜都市発展記念館 吉崎雅規)
*文中、西暦で年を記した場合は太陽暦による日付け、元号を先に記した場合は太陰暦(旧暦)による日付けである。