横浜開港資料館

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館報「開港のひろば」バックナンバー

「開港のひろば」第123号
2014(平成26)年1月25日発行

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展示余話
ヘボン関係資料発見!

さらに展示でも紹介したが、利泰はヘボンやシモンズから学んだ薬の調合方法や使用方法を、兄の利之に書簡で知らせている。明治8年11月28日付の書簡では、「〇ヘボン先生之眼疾治療ヲ傍観仕候ニ十人ハ八九人硫酸銅ニ而眼瞼裏面磨(ママ)擦、且皓礬六G水五ozニ溶解シ二・三滴ツゝ一日ニ一・二回点眼、之モ十中八九被用候、両方共甚タ効験有之候間御試可被遊候、但シ皓礬点眼水ハ衝性劇甚之症ニは難用候間此段御注意迄ニ申上候」とあり、液体の眼病薬(皓礬点眼水 こうばんてんがんすい)の調合と使用上の注意点を書き送っている。また明治9年2月22日付の書簡には、「昨日申上候赤降軟膏之方御承知歟ト奉存候得共、種々混雜之方も有之候ニ付、ヘボン・セメンス両先生平常御用之方左ニ申上候、赤降細末六十二G家豚脂八oz右混和シ用ユ、赤降ハ其品大ニ好悪御座候間精々御注意可被遊候」とあり、様々な調合で使用される赤降軟膏(せきこうこうなんこう)について、ヘボンとシモンズの調合方法を伝えている(Gはグレーン、ozはオンス、いずれも薬の質量の単位)。これらの書簡から、利泰がヘボンやシモンズから学んだ西洋医学の知識が、書簡を通して郷里の兄利之に迅速に伝えられたこと、また利泰が収得した知識を兄の利之を介して実行してみようとしており、利泰の西洋医学への信頼と、実践の意欲が伺える。酒井家資料により、ヘボンやシモンズが研修医達に教えた西洋医学の知識・技術が、迅速に地方に伝えられていったことがよくわかる。

ヘボンは横浜で33年間を過ごし、帰国した。横浜に残されたヘボン関係資料は多いと思われるが、市域での新たな発見は近年少ない。しかし酒井家資料は、ヘボンやシモンズの元で学んだ医学生たちが地元に送った書簡や持ち帰った資料から、ヘボンやシモンズ、十全病院に関する新たな発見があることを気づかせてくれた。酒井家資料には、シモンズの処方を記した「晒氏日用方函」(ししにちようほうかん)や、十全病院で研修を共にした研修医の人名を記した「見聞録」、十全病院での解剖の様子を記した兄利之宛ての書簡(明治8年12月12日付)などもある。今後利泰と共に学んだ研修医達の足取りをたどることで、ヘボン関係資料の新たな発見も予感される。知られざる資料の発見を目指して、調査を続けたい。

本稿で紹介した酒井家資料については、塚本弥寿人氏による翻刻の予定があると聞く。翻刻により活用の便が図られることを期待したい。

酒井家資料の展示利用にあたっては、酒井利彦氏、網岡知子氏をはじめ酒井家の方々、また塚本弥寿人氏には大変にお世話になった。お礼を申し上げたい。

(石崎康子)

お詫び
展示開催に合わせ刊行した展示図録『宣教医ヘボン〜ローマ字・和英辞書・翻訳聖書のパイオニア』の26〜27頁で、酒井利泰を佐藤利泰、酒井利彦氏のお名前を佐藤利彦、みよし市立歴史民俗資料館の館名をみよし市立歴史民俗博物館と記した箇所があります。記してお詫び申し上げます。

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