横浜開港資料館

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「開港のひろば」第118号
2012(平成24)年10月24日発行

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企画展
事業を興せ!
−近代ヨコハマ起業家列伝

横浜の起業家たち
左:西洋楽器製造元祖・西川虎吉
中央:横浜最大の生糸商・野澤屋茂木惣兵衛
右:映像時代の先駆者・佐伯永輔
横浜の起業家たち/左:西洋楽器製造元祖・西川虎吉、中央:横浜最大の生糸商・野澤屋茂木惣兵衛、右:映像時代の先駆者・佐伯永輔

バブル経済が崩壊して約20年。資本主義経済のある意味での“頂点”を経験した日本は、高い消費水準を維持しつつも、新たな発展のシナリオを描けないでいます。横浜の地域経済も、貿易都市・工業都市として多くの問題をかかえています。

江戸時代の横浜は100戸あまりの半農半漁の小村であり、幕末開港をきっかけに国内第一の貿易港となり、工業化もはたしました。歴史的にみて、近代横浜はたぐいまれな「“超”高度経済成長」のまちでした。そしてそのような横浜の発展は、積極的に事業を興した起業家たちの存在なしではありえませんでした。また起業家たちにとっても、横浜はチャンスにめぐまれた都市でした。

とはいえ、すべての起業家が発展したわけではなく、その多くが歴史に足跡をのこすことなく消えていったことも事実です。横浜経済を牽引した貿易商人たちでさえ表舞台から退いています。その一方で、業態を変えつつ今日でも事業を展開している事例があります。いずれにせよその成功・失敗の分かれ目は、起業家ごとにさまざまです。

今回の展示は、大きな事業展開を実現し、あるいは創業以来今日まで事業を継続させえた起業家のなかで、資料をもって語ることができる人びとを紹介いたします。その起業家たちは、事業を興すに際して機敏で、事業を大きくするために金融組織をととのえています。モノ作りに精緻をこらして、海外・国内での声価を高め、あるいは自らの事業をこえて業界発展に寄与しました。経営者としての彼らには強い意志が確認できます。展示は、横浜開港資料館の性格上、先駆としての起業家たちが中心としたため、生糸商における石橋次郎八、植物商の坂田武雄のような新興のチャレンジャーにまではおよびませんでした。彼らは別の機会に、別の枠組みで紹介したいと思います。

長らく不況がつづく今日ほど、新たな起業家の出現がまたれている時代はありません。近代横浜の「“超”高度経済成長」の風を現代に吹かせることなどできませんが、横浜発展の立役者となった起業家群像の個性や経営意欲を歴史的にひもとくことによって、未来にむかって新たな事業をおこそうとする人たちにエールを送りたいと考えます。

(平野正裕)

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