横浜開港資料館

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「開港のひろば」第118号
2012(平成24)年10月24日発行

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企画展
資料でたどる起業家の足跡

“モノ”が語る起業家

文字や紙上に残る資料は乏しいが、現存する“モノ”が雄弁に語る横浜の起業家たちがいる。横浜眞葛焼(よこはままくずやき)を創始した宮川香山(みやがわこうざん)はその代表であり、生涯にわたる作風がきわめて多様で、長らく全体像が把握できない存在であった。ところが、2001年の横浜美術館での「眞葛 宮川香山」展で体系的に展示されることによって、その全容が広く知られることとなった。

19世紀後半のヨーロッパでは、日本の芸術・技巧を受容する「ジャポニスム」が席巻していた。とくに注目されたのは、浮世絵と美術工芸品である。浮世絵は鮮やかな色彩で印象派画家に多大な影響を与えた。また、西洋伝統の遠近法による空間認識を破壊して、キュビズムをはじめとする20世紀芸術へのインスピレーションを誘引した。工芸品は“手の技”の高度な展開が注視された。日本で生まれ、海外で驚嘆された「生き人形」などの超絶リアリズムと同じ位相にあるものが、眞葛焼(まくずやき)の初期にみられた、花鳥・動物などを器にはりつけた「高浮彫(たかうきぼり)」である。しかしながら、他者の追随を許さぬ“手の技”による仕事は産業化には結びつかない。今回の展示に引きつけていえば、香山が一芸術家から脱して、量産を意識した作陶に傾斜して事業家としての内実をもつのは、明治10年代半ば以降のことといえよう。

ところで、今回の企画展示「事業を興せ!−近代ヨコハマ起業家列伝」の展示物の白眉は、絹物商椎野正兵衛商店が取り扱った絹製品である。

椎野正兵衛(しいのしょうべい)は、天保10(1839)年小田原で生まれた。開港直後の本町1丁目(現在の4丁目)伊勢屋徳兵衛店で事実上の営業を開始する。その後、欧米での万国博覧会に出品して声価を高めた。

展示には、女性の室内着であるドレッシング・ガウンや、シルク製の扇子や団扇などのほか、「鳥獣戯画」の味わいのある図案帖や、下着の下図などが出品される。いずれも「ジャポニスム」華やかな19世紀に生まれたものである。

椎野商店であつかったシルク製の扇子 明治期 椎野正兵衛商店蔵
椎野商店であつかったシルク製の扇子 明治期 椎野正兵衛商店蔵
「鳥獣戯画」の味わいを伝える、椎野商店の図案帳 明治期 椎野正兵衛商店蔵
そのユーモラスなさまは宮川香山の「高浮彫」作品に通じるものがある。
「鳥獣戯画」の味わいを伝える、椎野商店の図案帳 明治期 椎野正兵衛商店蔵 そのユーモラスなさまは宮川香山の「高浮彫」作品に通じるものがある。

眞葛焼をふくむ横浜の陶器「横浜焼」、絹製品、ユリをはじめとする日本植物など、欧米が熱烈に受容したものには、貿易港横浜でのビジネスチャンスが豊かに含まれていた。とくに前二者は、伝統的技能が応用される世界でもあった。とはいえビジネスと一言で処理するのはいかにも粗雑であって、それは貿易統計では表現しきれない、“日本文化”の輸出もになっていたのである。

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