横浜開港資料館

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館報「開港のひろば」バックナンバー

「開港のひろば」第118号
2012(平成24)年10月24日発行

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特別資料コーナー
鉄村(くろがねむら)・村田家文書

このたび、青葉区鉄町の村田家より、横浜市北部の村々の様子を伝える資料の寄託を受けることとなった。同家は、近世初頭から鉄村(後に中鉄村)の村役人をつとめた旧家で、大正期には佐藤春夫が『田園の憂鬱』を執筆するために仮寓していたことでも知られている。まずは、貴重な資料を長く保存してこられた村田家、ならびに同文書の整理・解読等に当られた関係各位のご努力に、深く敬意を表したい。

同家古文書は、既に『神奈川県史』編纂時点から、「村田武家文書」として、その所在が確認されていたもので、『横浜市史料所在目録 第7集 緑区』に約1,000点に及ぶ資料の目録が掲載されている。北条氏康の感状2通のほか、慶長・元和・幕末の検地帳、寛永以後の年貢割付、天保期から明治11年までの御用留、江戸後期の人別帳などが含まれている。

最も著名な資料としては、文化14年の傘連判状がある。この資料は、中鉄村(なかくろがねむら)と寺家村(じけむら)の農民22名が、地頭・筧政房が課した重い御用金に対して、一致結束して対抗しようとしたものである。指導者を隠すためにこのような形式が取られているが、人名の末尾には今も血判の跡が薄黒く残っており、当時の人々の覚悟のほどが偲ばれる。

傘連判状(部分) 文化14年2月
傘連判状(部分) 文化14年2月

また、今回寄託を受けるに際して、新たに750点ほどの資料が加わった。幕末から明治期にかけての当主・藤右衛門(とうえもん)及び信十郎(しんじゅうろう)に関する資料が多く含まれている。2人は、鉄村戸長や学区取締など、明治初期の都筑郡北部の地方行政・教育の要職をつとめたほか、太白堂(たいはくどう)の俳人としても知られていた。また信十郎の息子・鷹輔(たかすけ)は、明治後期から昭和初期にかけて活躍する政治家・小泉又次郎とも親交があった。本誌第93号で紹介した小泉からの書簡も、今回の寄託資料に含まれている。

なお村田家文書については、特別資料コーナーにて、主な資料を展示、紹介する予定(会期は10月2日〜11月30日)である。また閲覧室では、複製(一部原資料)での閲覧が可能である。

(松本洋幸)

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