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閲覧室でご覧になれる資料〈3〉新聞雑誌

横浜市内や神奈川県内で発行された新聞

◎日本語新聞

『仮名読新聞』

【解説】1875(明治8)年に、仮名垣魯文が中心となって編集し、横浜毎日新聞会社が創刊した。1877年より『かなよみ』と改題、横浜毎日新聞社から独立して東京に移り、明治時代前期に見られる庶民向けに平易に書かれたいわゆる小新聞(こしんぶん)の代表的なもののひとつに成長した。1880年1400号をもって廃刊される。他に仮名垣魯文が横浜で編集・出版したものに『絵新聞日本地』がある(複製本での閲覧が可能)
【年代】1875.11.1〜1880.10.29
【閲覧】復刻版及び複製本

『横浜貿易日報』

【解説】『横浜毎日新聞』が東京に移ってから、『横浜貿易新聞』が発行されるまで、横浜においては新聞の空白期といわれていた。ところが、1881(明治14)年に創刊されたと考えられる『横浜貿易日報』が発見された。横浜商法会議所の発行で、その機関紙のようなものだったと思われる。
【年代】1881.7.11〜1882.11.9
【閲覧】複製本

『横浜貿易新聞』

【解説】1890(明治23)年2月に、横浜貿易商組合の機関紙として発行された日刊紙。横浜の商業、貿易関係の記事を掲載。1904年6月に『横浜新報』と合併、『横浜新報』となる。その後、『貿易新報』、『横浜貿易新報』と改題、1940(昭和15)年12月に『横浜新報』と合併し『神奈川県新聞』となる。1942年2月には『神奈川日日新聞』に合併し、『神奈川新聞』が創刊した。
【年代】1890.2.1〜1926.12.30
【閲覧】複製本

『横浜新報』

【解説】『横浜貿易新聞』で活躍した記者野澤藤吉(枕城)と、横浜通信社社長日比野重郎が明治34(1901)年2月に創刊した『横浜毎夕新聞』を前身とする。翌年1月に佐藤虎次郎が経営に携わり『横浜新報』と改題、『横浜貿易新聞』のライバル紙へと成長した。明治37年6月には同紙と合併し、『貿易新報』となった。
【原蔵者】東京大学明治新聞雑誌文庫
【総数】14冊
【年代】明治35年3月〜6月、8月〜12月、明治36年3月〜6月、10月〜12月(欠号有り)
【閲覧】複製(開架書架)

『横浜貿易新報』 臨時号

【解説】大正12(1923)年9月1日におきた関東大震災によって横浜貿易新報社は社屋が倒壊する被害にあった。しかし、13日には臨時号を発行し、市民に罹災地の状況を伝えると同時に復興への意欲を示している。
【原蔵者】横浜市中央図書館
【総数】1冊
【年代】大正12年9月13日〜10月30日(欠号有り)
【閲覧】複製(開架書架)


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