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閲覧室でご覧になれる資料〈3〉新聞雑誌

横浜市内や神奈川県内で発行された新聞

◎日本語新聞

『海外新聞』

【解説】1865(慶応元)年に、ジョセフ・ヒコ(浜田彦蔵)が、岸田吟香、本間潜蔵(清雄)の協力を得て発行した、木版和綴本の新聞(一部分は手書き)。郵便船で運ばれる外国の新聞の翻訳記事により海外事情を明らかにすることを目的にして国別に記載し、それに商品相場や広告を加えたものである。1866(慶応2)年の新聞を情報源とする26号が最終号である。日本で最初の民間による日本語新聞で、1864年に創刊した手書きの『新聞誌』が『海外新聞』の前身という説もある。
【年代】1865.4.8〜1866.11.6
【閲覧】復刻版『ジョセフ彦海外新聞』

『万国新聞紙』

【解説】1867(慶応3)年に、英領事館付英国聖公会牧師ベイリーによって創刊された、木版和綴本の新聞。1869(明治2)年発行の15集から『万国新聞』と改題、18集まで刊行が確認されている。郵便船で運ばれる外国の新聞の翻訳記事による国別の海外事情の紹介が中心である。また、日本の政治的な事件や横浜での出来事など、国内のニュースを報じた最初の新聞でもある。
【年代】1867.〔2〕〜1868.〔5〕
【閲覧】『日本初期新聞全集』

『横浜新報もしほ草』

【解説】1868(慶応4)年に、アメリカ人ヴァン・リードが岸田吟香の協力を得て創刊した、木版和綴本の新聞。幕末・維新期における日本の国内情勢に関する論説記事に特色がある。さらに、太政官布告により新聞の無許可発行が禁止され、江戸で新聞が発行されなかった時期に、居留地で外国人が発行していたため、自由な報道を続けることができた。1870(明治3)年42編で廃刊。
【年代】1868.5.3〜1870.4.13
【閲覧】『日本初期新聞全集』『幕末明治新聞全集』

『渡航新聞のりあひばなし』

【解説】1868(慶応4)年に、東京横浜間を運航する蒸気船稲川丸の横浜差配人だった岸田吟香が、乗客を対象に発行した新聞。
【年代】1868.10.7〜11.12
【閲覧】『日本初期新聞全集』『幕末明治新聞全集』

『横浜毎日新聞』

【解説】1871年1月28日(明治3年12月8日)に、横浜活版社から創刊されたわが国で最初の日本語の日刊紙。創刊当初は木活字であったが、その後鉛活字を用いた。洋紙両面刷の画期的なものだった。1879年、編集局を東京に移し、『東京横浜毎日新聞』と改題。改進党系機関紙の性格を強めて、自由民権運動の高まりとともに全国紙に発展する。その後、『毎日新聞』、『東京毎日新聞』と改題しつつ存続していたが、最終的に1940(昭和15)年に姿を消した。横浜活版社からはほかに『金港雑報』(1871年から1872年まで)、『毎週新聞』(1872年)が発行されている(いずれも『日本初期新聞全集』に収録)。また毎日新聞会社にかわってからは週刊の『五洲雑報』が1874年に発行されている(複製本での閲覧が可能)。
【年代】1871.1.28〜1926.12.30
【閲覧】復刻版及び複製本


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