横浜開港資料館

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館報「開港のひろば」バックナンバー

「開港のひろば」第120号
2013(平成25)年4月24日発行

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特別資料コーナー
残されたペリーの贈り物

安政元(1854)1月16日、アメリカ東インド艦隊司令長官であったペリーは、軍艦を率いて東京湾に来航した。その後、ペリーは、現在、当館が建っている場所(横浜村)で幕府の全権委員らと交渉を繰り返し、3月3日には日米和親条約を結んだ。横浜村で交渉が始まったのは2月10日で、条約締結までの約1ヶ月間、ペリー艦隊乗組員は日本人と日米交流を繰り広げた。その過程で、ペリー一行が、アメリカの品物を日本人に贈ったことが知られている。なかでも、ペリーが将軍や幕府の高官に贈った品物については、『ペリー艦隊日本遠征記』や幕府の公式記録に具体的に記述がある。

たとえば、2月23日、横浜村では汽車の模型の試運転がおこなわれたが、その後、この模型は幕府に献上された。また、翌日に送信実験がおこなわれた電信機も幕府への献上品であった。こうした正式な献上品には、ライフルやサーベルなどの武器、アメリカ合衆国の歴史などを記した本などが含まれ、将軍や幕府の役人は献上品を通じて、西洋諸国の工業力や軍事力を知ることになった。

幕府に汽車の模型が贈られことを伝えた瓦版
横浜開港資料館蔵
幕府に汽車の模型が贈られことを伝えた瓦版 横浜開港資料館蔵

ところで、当館には、ペリーの正式な献上品ではないが、ペリー一行が日本人に贈ったと伝えられる品物がいくつか所蔵されている。その内のひとつは、ペリー艦隊乗組員が、後に横浜商人として活躍した熊谷伊助に贈ったと伝えられる望遠鏡であり、もうひとつは浦賀奉行所の与力であった合原猪三郎に贈った皿である。どちらの品物も公式の記録には記載されていないが、現在まで大切に子孫の家に伝えられたものであった。また、当館では、平成22(2010)年5月に、下田奉行所の与力であった山本謙兵衛がペリー一行から贈られたと伝えられる置き時計の寄託を受け、この時計を修復した後に展示し大きな話題になった。

これらの品物を受け取った人々は、幕府の下級武士や農民であったが、彼らは贈り物からなにを感じたのだろうか。もしかすると、彼らは贈り物を通じて、新しい時代が始まったことを実感したかもしれない。そんなことを考えながら贈り物を見ていただければと思う。なお、望遠鏡と皿は、6月1日〜30日まで「特別資料コーナー」で展示します。

(西川武臣)

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