横浜開港資料館

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17.貿易港横浜

[見学のポイント]
 生糸や茶が輸出され、綿や毛織物が輸入された当時の貿易で、横浜が生糸の輸出の中心であったことが分かる。

展示物写真展示場所

貿易港横浜

横浜港からは生糸や蚕種・茶などが輸出され、綿、毛織物などが輸入されたが、横浜港での貿易の中心は、生糸の輸出であった。生糸は日本最大の輸出品であり、横浜港は絶対的優位を占めていた。生糸貿易は、横浜の盛衰に直接関わっただけでなく日本経済をも左右した。

[絵図]生糸売込商店の店頭風景
半山直水画「横浜市中に於て外国人生糸を見分ける図」

 
 

[複製]日本茶の商標

「アメリカ三番」と称されたスミス・ベーカー商会が扱った日本茶の商標。

[実物]
町会所が発行した鑑札

[複製]
輸出生糸のラベル

〈ア〉福島県二本松製糸会社の佐野利八が、明治10年代初めて生糸の帯紙に貼付し、「娘掛田(むすめかけだ)」と称して輸出した。わが国の生糸商標の最初とされるものである。
〈イ〉明治10年代から20年初めにかけて、長野県諏訪郡平野村にあった器械製糸結社「確栄社」の商標。
〈ウ〉群馬県の富岡製糸所の商標。明治5年(1872)、官営工場として出発したが、明治26年(1893)、民間に売却された。これは横浜の合名会社が経営していた時代(1902-1939年)のもの。

明治7年(1874)にジャーデン・マセソン商会勤務の西田徳蔵に交付された木札。徳蔵は当時32歳。明治元年(1864)から同商会に雇用されていた。

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