横浜開港資料館

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展示室2 展示物案内

13.外国人宣教師

[見学のポイント]
 ヘボンは、宣教師として来浜し、医療や教育などで献身的に活動した人であることが分かる。

展示物写真展示場所

外国人宣教師

横浜開港とともにキリスト教布教のため多くの宣教師が来浜した。かれらは伝道活動のなかで、医療や教育に尽力し、ミッション・スクールの基礎を築いた。なかでもアメリカ人宣教医のヘボン博士は、開港の年に夫人とともに来日し、横浜で33年間、施療・教育・辞書編纂・聖書翻訳と献身的に活動して信望を集めた。

[写真]谷戸橋のたもとの旧ヘボン邸

手前が山手、橋の向こう側が山下町。正面の寺院園の建物が1862年(文久2年)にヘボンが新築した自宅。ヘボンはここで施療所を開き、夫人は英学塾を開いた。

 

[写真]ヘボン夫妻

[復刻版]和英語林集成

ヘボンが来日以来7年の歳月をついやして完成した、日本で最初の本格的な和英辞典。明治期を通じて版を重ね、日本人の英語学習にも多大な貢献をした。3版から採用されたローマ字つづりはヘボン式と呼ばれるようになり、今も広く使われている。

明治23年(1890)の金婚式の記念写真。夫妻は当時山手245番に住んでおり、ヘボンは明治学院の初代総理をつとめていた。

[複製]
ヘボン夫人の横浜からの手紙

ヘボンの弟スレーターの妻アンナにあてたもの。自宅の英語塾で「私はまだ薫三郎(林薫)を教えています。彼はかなりよくできます。生徒のなかの二人が遣欧使節に随行していきました。」と書いている。夫人の塾ではほかにも若き日の高橋是清、益田孝らが学んだ。

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