横浜開港資料館

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展示室2 展示物案内

10.中華街

[見学のポイント]
 中華街は、開港とともに横浜に進出してきた多くの中国人が、西洋館で働いたりさまざまな生業を営んだりして築いてきたことが分かる。

展示物写真展示場所

中華街

開港とともに多くの中国人が広東・上海などから横浜に進出してきた。彼らは西洋館で働いたり、貿易商・雑貨商・籐家具店などさまざまな生業を営み、中華街を築いていった。関東大震災以前には、最大6000人あまりの華僑が暮らし、学校や関帝廟なども建てられた。

〈表〉
[写真]1920年頃の中華街大通り

野菜を積んだ荷車や大勢の人で賑わう。左のれんがの建物は料理店の成昌楼、右手には両替商同順利の看板が見える。

〈裏〉
[写真]祭りの日の中華街大通り

関帝誕(関羽の誕生日)などの祭日には、みこしや龍舞が中華街を練り歩き、その華麗な姿は横浜の名物の一つであった。

 

[写真]関帝廟の内部

関帝廟は「三国志」の英雄関羽を祭った廟で世界各地の中華街に存在する。横浜関帝廟は1867年頃に建立された。

[絵図]外国商館の茶倉庫

「亜(アメリカ)一番」と称されたウォルシュ・ホール商会の茶蔵の作業風景。中国人の監督のもと、日本茶を計量し茶箱に詰めている。

[複製]マッチラベル

HungTai&CDは1895年頃から1919年頃まで居留地(山下町)136番地にあった商館。瑞記(Suikee)は東京の栄盛社 製のマッチを輸出していたと思われる。

[写真]欧米商館の中国人スタッフ

欧米商館で働く中国人は西洋の言語や商習慣に通じるとともに、日本人と筆談で意思の疎通をはかることができた。彼らは、初期の外国貿易において重要な存在であった。

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