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閲覧室でご覧になれる資料〈3〉新聞雑誌

横浜との関係が深い地域で発行された新聞

◎日本語新聞

『有喜世新聞』

【解説】1878(明治11)年1月に、有喜世新聞社(のち三益社)から創刊された、改進党系の小新聞である。1883年1月に発行停止となり、同年3月から『開花新聞』と改題する。さらに1884年8月『改進新聞』と改題し、改進党の機関紙となった。
【年代】1878.6.14〜1882.5.30
【閲覧】複製本

『いろは新聞』

【解説】1879(明治12)年、仮名垣魯文が京文社から発行した庶民向きの娯楽新聞。1884年11月から『勉強新聞』と改題する。当館では、前身の『安都満新聞』の1879年4月の原紙もあわせて所蔵する。
【年代】1884.9.12〜10.29
【閲覧】複製本

『時事新報』

【解説】1882(明治15)年3月に、福沢諭吉が慶応義塾出版社から創刊した日刊紙。不偏不党の立場をとり、経済発展に主眼をおき、封建的習俗の打破に力を注ぐ紙面構成になっている。1918(大正7)年から1923(大正12)年の横浜・横須賀版、神奈川版の複製も閲覧できる。
【年代】1882.1.3〜1903.12
【閲覧】復刻版

『東京朝日新聞』

【解説】1879(明治12)年1月に大阪で創刊された『朝日新聞』が東京進出をはかり、1888年7月に『めざまし新聞』を買収して『東京朝日新聞』を創刊した。
【年代】1888.7〜1919.6
【閲覧】復刻版

『峡中新聞』

【解説】1872(明治5)年に創刊する。1873年に『甲府新聞』、1876年に『甲府日日新聞』、1881年に『山梨日日新聞』と改題し、現在も続いている。地方新聞としては一番息の長い新聞である。
【年代】1872.8〜1873.3
【閲覧】『日本初期新聞全集』


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