横浜開港資料館

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2階通路

展示場所

1.[絵図]ペリー艦隊の随行画家 ハイネの描いたたまくすの木

[絵図]ペリー艦隊の随行画家 ハイネの描いたたまくすの木

ハイネの原画をもとに作成された石版画。横浜村の小さな神社(水神社)を描いたもの。その脇にそびえているのが、たまくすの木と伝えられている。この神社の向かいに応接所が設けられ、日米和親条約の締結交渉が行われた。

2.[写真]震災直後のたまくす

[写真]震災直後のたまくす

震災により炭化したたまくすの木。背後は廃墟と化した神奈川県庁舎。

3.[実物]焼失したたまくすの余材で作られた黒船壁掛

[実物]焼失したたまくすの余材で作られた黒船壁掛

関東大震災で黒こげになった英国領事館庭内のたまくすの余材で作った壁掛。横浜市教育課長の中川直弼は、日米和親条約の締結交渉を見つめ、横浜の発展を見守ってきた由緒あるたまくすの喪失を惜しみ、ペリーの黒船を模索し、震災復興に尽力した横浜市復興会会長の原富太郎に揮毫を依頼、第9代市長渡辺勝三郎に贈呈した。

4.[実物]たまくす

[実物]たまくす

中庭のたまくすは、江戸時代からこの地にあり、日米和親条約は、安政元年(1854)この木の近くに設けられた応接所で結ばれた。大正12年(1923)の関東大震災により、木の幹は焼失したが、生き残った根から芽が出て、いまや中庭いっぱいに枝を広げる大木となった。横浜の歴史の生き証人ともいえるたまくすは、昭和63年(1988)横浜市地域史跡に指定された。

碑上面の「ペリー提督横浜上陸」の図は、アメリカ日本遠征艦隊の随行画家ハイネの原画による石版画(当館所蔵)を陶板の上に複製したものである。右手の大木がたまくすの木の元の姿といわれている。

5.[絵図]御開港横浜大絵図二編 外国人住宅図

[絵図]御開港横浜大絵図二編 外国人住宅図

開港後間もない時期の居留地の情景。右端の水神社に「たまくす」が描かれている。建物の高さに及ぶ緑は、それまであって樹木を生かして居留地建設が行われたことの証しであろう。

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