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展示室1 展示物案内
14.横浜の賑わい
[見学のポイント]
開港後、横浜の街づくりも急速に進み、各地から人々が集まり活気あふれる街となっていったことが分かる。


横浜の賑わい |
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[地図] |
[絵図] |
開港当初、貿易の見通しも定かでなく、港湾や都市の設備も貧弱だったにもかかわらず各地から商人が集まりはじめた。幕末の通商条約では、外国人に居住と営業が許されるのは、居留地と呼ばれるエリアに限られていた。横浜では現在の山下町と山手町がほぼそれにあたる。神奈川開港を主張していた外国の公使たちも、万延元年(1860)初め頃には横浜を承認し、外国人居留地の町づくりも急速に進んでいく。横浜は一年ほどの間に早くも活気あふれる町となった。その賑わいは、絵や文章によって描写され、浮世絵や案内書として全国に伝えられた。 |
赤色の部分は日本人居住区、黄色が外国人居留地、青色はそのうちフランス人居住区を示す。街路が45度傾いた区画は、横浜新田を埋め立てた地域。フランス人技師クリペが作成。 |
5カ国の黒船を近景と遠景に配する大胆な構図の中に、はしけで荷役に従う外国人を描いて活気を伝える。横浜浮世絵の第一人者、五雲亭貞秀の代表的な傑作。 |
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[写真]「幕末の横浜風景」 山手から堀川越しに外国人居留地を望む。右手に東(フランス)波止場、その左手奥に西(イギリス)波止場、そのさらに左手に小さく水神の森(当館所在地)が見えている。 |
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[絵図] 開港場の日本人街は各地から移り住んだ商人や見物客で賑わった。これは開港直後の本町通りの情景で、物資をつんだ荷車や行きかう人々で街は活気にあふれている。 |
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