横浜開港資料館

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閲覧室でご覧になれる資料〈7〉個人コレクション「ドン・ブラウン・コレクション」

【旧蔵者】旧蔵者ドン・ブラウン(Donald Beckman Brown 1905-1980)は、アメリカのオハイオ州に生まれ、1930年に初来日した。当時極東で著名であった英字日刊紙『ジャパン・アドヴァタイザー』(The Japan Advertiser)の記者となり、1940年10月、同紙が『ジャパン・タイムズ』(The Japan Times)に吸収合併させられると、辞職し、帰国した。
 アジア・太平洋戦争中は戦時情報局(OWI)に属し、対日心理作戦にたずさわった。戦後すぐの1945年12月、GHQの民間情報教育局(CIE)情報課スタッフとして再来日し、翌1946年に情報課長に任命され、1952年の占領終結までその職にあった。その間、出版や放送をはじめとする日本のさまざまな情報媒体の「民主化」政策に関わった。
 また、明治初期に横浜で居留外国人によって創設された民間の日本研究団体である日本アジア協会の戦後復興活動にも関わり、1950年から亡くなる1980年まで、同会紀要(Transactions of the Asiatic Society of Japan)の実質的な編集長でありつづけた。1964年に実施された同会紀要(明治期刊行の第1期)の復刻出版(雄松堂)時には中心的役割を果たした。この第1期紀要に、アーネスト・サトウやB・H・チェンバレン、W・G・アストンら、多数の著名な日本研究者が論文を寄せており、日本研究に欠かせない文献となっている。1980年、名古屋で死去した。
 同コレクションは、このようなブラウンの半世紀におよぶ日本との長く密接な関わりの中で形成されたものである。
【解説】書籍8,069タイトルは、日本十進分類法(NDC)に則って分類し、著者・書名順に排列している。人文科学のあらゆる分野にわたっているが、なかでも英文の日本研究書、日本文学翻訳書が多い。稀覯本といえるものは少ないが、明治期から戦後にかけて日本で刊行された多種多様な書籍や、戦前・戦中のアメリカにおいて出版された日本関係図書がよく集められているのが特徴といえる。この他、戦前の年鑑類もよくそろっており、『中華年鑑=The China Year Book』、『英文日満年鑑=The Manchoukuo Year Book』、『英文日本年鑑=Japan Year Book』などがある。またGHQ時代の電話帳も10数冊のこっており、ブラウン本人のメモ書きがあることから、当時、実際に使用し手元にのこったものであることがわかる。
 新聞・雑誌約800タイトルは、その多数が日本で発行されたものである。幕末から明治期にかけて横浜や神戸の居留地で発行された新聞が多数そろっており、貴重な新聞コレクションである。1861年に居留地で創刊された横浜初の近代的新聞『ジャパン・ヘラルド(The Japan Herald)』の1862年から1865年にかけての号が比較的よくそろっている。『ジャパン・コマーシャル・ニューズ(The Japan Commercial News)』1864年3月16日号、および『デイリー・ジャパン・ヘラルド(The Daily Japan Herald)』1864年11月18日、24日号の存在も特記しておきたい。このほか、1870年創刊の『ジャパン・ウィークリー・メイル(The Japan Weekly Mail)』や、神戸居留地で発刊された『コーベ・クロニクル(Kobe Chronicle)』もよくそろっている。いずれも幕末・明治期研究に欠かせない史料である。
 雑誌については、時代的にも内容的にもかなり幅があるが、明治期に刊行された英語学あるいは英文学の雑誌が多い。たとえば『日本英学新誌』・『英語世界』・『実用英語』・『英語界』・『英語青年』・『英学新報』・『英文新誌』・『中外英字新聞』などである。また日本アジア協会の活動に関わった関係からか、日本アジア協会の紀要原誌は第1期からよくそろっている。各国のアジア協会紀要なども収集しており、ロンドンアジア協会の1878年の議事録、上海支部の1889年から1890年までのジャーナル、朝鮮支部の1900年から1903年までの紀要などがあげられる。横浜居留地で発行された英文風刺雑誌である『ジャパン・パンチ(The Japan Punch)』はかなりの号数がそろっており、当館蔵のブルーム・コレクション分とあわせると大部分の号数がそろうことになる。
 現在、目録作成中である文書は、ブラウンの青年期から晩年までのさまざまな文書が残されている。とくに民間情報教育局情課長としてのGHQ時代の文書が大部分を占め、かつ重要性もたかい。戦前期の日本でジャーナリストとして活躍した時期の新聞 記事スクラップ・ブックや、帰国後の戦時情報局時代に作成にたずさわった対日心理作戦のビラやその関係文書などもある。
【経緯】ブラウン死亡の翌年の1981年に、ブラウンの戦前からの友人で遺産管財人となったトマス・L・ブレイクモア(Thomas L. Blakemore1915〜1994)を通じて、残された資料類を一括購入。
【総数】文書約500点、書籍8,069タイトル、新聞・雑誌約800タイトル
【閲覧】原資料あるいは複製(書籍および新聞・雑誌のみ公開)
【複写】一般洋書、新聞・雑誌に準じる。
【検索】書籍は『横浜開港資料館所蔵ドン・ブラウン・コレクション書籍目録』(2004年)、新聞・雑誌は『横浜開港資料館所蔵 新聞・雑誌目録(平成2年12月末現在)』(1991年)。
【備考】中武香奈美「ドン・ブラウンとE・H・ノーマン―ドン・ブラウン書簡(控)から―」(『紀要』19)、中武香奈美「横浜開港資料館所蔵「ドン・ブラウン・コレクション」―その概要と整理状況」(『Intelligence 第2号』、2003年)、「企画展 ある知日家アメリカ人と昭和の日本―ドン・ブラウン文庫1万点の世界」(『開港のひろば』83)

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