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閲覧室でご覧になれる資料〈6〉画像資料「地図」

【概要】

 半農半漁村から国際都市へと変貌をとげた都市横浜の生成過程をたどる上で、地図は不可欠な資料である。当館では幕末開港期から昭和期までの横浜市域図を中心に、1200点あまりの地図を所蔵している。このうち五味亀太郎文庫とブルーム・コレクション以外の文庫・諸家文書中にある地図をのぞいた900点あまりについては、作成者あるいは内容によって、(01)5千分1実測図、(02)2万分1地形図、(03)1万分1地形図(04)旧版地形図各種、(05)横浜市役所作成地形図、(06)横浜地図・全図、(07)横浜地図・特殊図、(08)横浜地図・土地宝典類、(09)横浜地図・区域図、(10)横浜地図・都市計画関係、(11)神奈川県内地図、(12)国内地図、(13)海外地図に分類している。
 このうち、当館の地図資料の中心は、(05)横浜市役所作成地形図から(10)横浜地図・都市計画関係であり、全所蔵地図の約5割を占める。(05)横浜市役所作成地形図については、行政資料の項を参照されたい。
 (06)横浜地図・全図とは横浜市域全体をおさめる民間地図をさし、140点あまりを所蔵している。これらについては、[1]開港前、[2]開港・幕末期、[3]明治元年〜15年、[4]明治16年〜30年、[5]明治31年〜45年、[6]大正元年から15年、[7]昭和元年〜20年、[8]昭和21年以降、という8つの時期区で分類している。そのうち、[1]から[6]までが当館が対象とする時期であるため、大まかに横浜地図の流れを紹介する。
 開港以前の絵地図には「横浜村竝近傍之図」(嘉永4年、横浜市史附図)などがあり、開港場が建設される以前の横浜村と周辺の横浜新田・太田屋新田・吉田新田などの様子が描かれている。開港当初の絵地図には「神奈川港御貿易場御開地御役屋敷竝町々寺院社地ニ至ル迄明細大絵図にあらわす」(1853年、一玉斎画、新栄堂)などがある。この地図には造成されたばかりの開港場と神奈川宿、横浜道などが描かれているが、1860(万延元年)に開港場を隔離するために開削された堀割(後の堀川)はまだない。また「異人屋敷」と記されているのは、波止場近くの一区画であり、外国人居留地がまだ一部しか造成されていない様子を伝えている。その後の開港場の絵図としては、五雲亭貞秀による「御開港横浜之全図」が有名である。開港場として整えられたばかりの横浜の街並みを中央に配し、周囲に東海道の神奈川宿、野毛山、吉田新田、山手の丘などを描いた一大鳥瞰図である。1860年8月の初版、1861(文久元年)の再版、増補再版(慶応元年頃)の三種が存在している。
 その後明治20年代までの明治前期は横浜絵地図の隆盛期といえるが、なかでも尾崎冨五郎(五葉舎万寿老人)がぬきんでている。当館では「新鐫横浜全図」(1870年)、「改正新刻横浜案内絵図」(1870年)、「改正銅版横浜地図」(1880年)など、尾崎冨五郎が手がけた各種の縮尺地図を所蔵している。
 明治10年代後半から20年代にかけては、横浜の名所絵を配した、名所図入り地図が流行した。歌川国鶴の「絵入名所横浜新図」(1882年)はその初期のもので、先述の尾崎の「改正銅版横浜地図」(1880年)をベースにしたものである。また伊勢佐木町の書肆倉田屋(倉田太一郎)は「絵入名所横浜新図」の名所図の総入れ替えをおこなった「新撰横浜全図」を出し、このほか文魁堂(渡辺文五郎)も一部名所図を差し替えた「改良横浜明細全図」(1896年)を出している。またこの時期、横浜市街を一望した、尾崎冨五郎70歳の「一世一代ノ書納」、最終作である「横浜真景一覧図絵」(1891年)が刊行された。
 明治30年代に入ると、写真の普及や名所絵葉書の登場によって、名所図入り地図は衰退する。かわって実測図に近い地図が求められるようになる。その最初が鈴木陌太郎編輯の「改正横浜市全図」(1897年)である。発行者は伊勢佐木町松泉堂書店の鈴木安三郎で、7版まで訂正増補を重ねたところで、1901年の第一次市域拡張(久良岐郡戸太町・本牧村・根岸村、橘樹郡神奈川町・保土ヶ谷町の一部を編入)となって絶版になったようである。市域拡張後の地図の中では、伊勢佐木町の書肆弘文堂菅村孝三郎の「市区改正横浜実測新図」が版を重ねて発行された。
 大正期の横浜地図は、有隣堂発行の「大正調査番地入横浜市全図」(1913年初版)と、荻田春風堂発行の「最新調査番地入横浜新地図」(1919年初版、当館蔵は1920年訂正補版以降)の二系統が代表的な地図である。ともに1万5千分の一の縮尺で、1911年の第二次市域拡張(橘樹郡子安村の一部、保土ヶ谷町の一部、久良岐郡屏風ヶ浦村の一部、大岡川村の一部を編入)後の横浜市をおさめる。前者の「大正調査番地入横浜市全図」は昭和期に入ると、「昭和調査番地入」と表題を変えるが、1929年の改訂版が出される以前の地図は、震災以後の道路整備・区画整備を充分に反映していない。改訂版は1927年の第三次市域拡張(橘樹郡鶴見町、旭村、大綱村、城郷村、保土ヶ谷町、西谷町、久良岐郡日下村、大岡川村、屏風ヶ浦村を編入)以後の市域をおさめ、「改正番地入昭和実測大横浜市全図」となり、2万5千分の一の縮尺となる。  (07)横浜地図・特殊図とは海図、上下水道関係、瓦斯関係、交通関係、郵便関係などの地図で50点あまりを所蔵する。
 (08)横浜地図・土地宝典類は、明治前期から昭和期にかけて刊行された、市町村単位(一部区単位)の地図帳「土地宝典」である。土地宝典とは税務署および市町村役場に備えられた公図と土地台帳記載項目を地図と表に編集して民間から刊行されたもので、20点あまりを所蔵する。
 (09)横浜地図・地域図とは市内各地域の地図で、中区・西区など行政区別に整理され、110点あまりを所蔵する。
 (10)横浜地図・都市計画関係とは、主として震災復興期の区画整理図などで、70点あまりを所蔵する。
 なお、冒頭で述べた通り、上記の分類には、一般の地図と五味亀太郎文庫およびブルーム・コレクション中の地図は含むが、他の文庫や諸家文書中の地図は含まれていない。個人文庫の中では、稲生典太郎文庫の中に、明治・大正期に出された東アジア地域の地図を中心に、日本と世界の地図約300点が含まれている。

【総数】約1,200点
【年代】幕末〜1960年代
【閲覧】地図については、資料保存上の理由から、原則として原資料は閲覧に供していない。閲覧室で利用できる地図は、複製物とコンピューター画面による画像閲覧である。複製物とは[1]市販あるいは図書などに添付された複製地図と[2]土地宝典およびブルーム・コレクションの日本古地図(「VIIー8ブルーム・コレクション」の項を参照)の複製本である。複製地図については、【表1】の通り幕末から1932(昭和7)年までの代表的な横浜地図をそろえている。土地宝典については【表2】の通りである。どちらも閲覧室に開架している。
 コンピューターによる画像閲覧では、[1]横浜全図と[2]横浜市作成3000分の1地形図[2]海図の三つのデータ・ベースが利用できる。[1]は幕末の絵地図から1954年の米軍接収地図までの横浜全図194点をおさめる。[2]は昭和期に横浜市が作成した3000分の1地形図のうち60点をおさめる。[3]は異国船の来航にかかわる日本近海海図23点をおさめる。
【複写】複製物(複製地図・土地法典)からの電子式複写
【検索】ブルーム・コレクションの地図は『ブルーム・コレクション書籍目録』で検索。複製物はカード目録。画像閲覧は閲覧室のコンピューター端末による検索。


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