HOME > 閲覧室でご覧になれる資料 > 館蔵諸文書

閲覧室でご覧になれる資料「館蔵諸文書」

【概要】

 横浜市が長きにわたり収集し、横浜開港資料館に引き継がれた文書のなかには、今日では収集経緯が分からなくなっているものがある。これらのうち、出所が確かなものは文書名をたてて整理・公開しているが、数点単位のものにはさまざまな文書が含まれこれまで展示に利用するにとどまっていた。一方、開館以降にも購入・寄贈などにより資料が収集されたが、そのなかには、かならずしも近世以来の家別に整理することがそぐわないものもあった。1996(平成8)年度より、これら資料を「館蔵諸文書」として閲覧室で公開することとなった。
 入手経緯の不明なものを含む「館蔵諸文書」のなかには、特定の関連性が判明したものを一括し、枝番号を付してまとまった形で整理する場合がある。そのために請求番号の付け替えがあり、新規受け入れを含めて「館蔵諸文書」目録は更新されつつある。
 個人コレクションの一つである五味文庫は、収集家五味亀太郎自身の収集品目録が残っていたため、コレクションが再生できたが、その他のコレクターの収集品であることが明らかで「館蔵諸文書」中に紛れているものがある。
 代表的な事例は、設楽己知文庫である。設楽は生糸関係史料のコレクターとして、戦前の横浜市役所編・刊『横浜市史稿 産業編』(1932年)や藤本実也『開港と生糸貿易』(開港と生糸貿易刊行会、1939年)などの口絵を飾る貴重資料を有していた。そのような設楽文庫を横浜市が受け入れた経緯は今日不詳であり、目録が残っていないために、その全容は分からなくなっている。「館蔵諸文書」中、設楽文庫に明瞭に該当するものは、「設楽文庫」の押印がある幕末・明治初期の生糸仕切書や証紙などであるが、戦前期の展示図録などにある設楽文庫資料で、押印がなく、当館に伝わっているものが確認できる。設楽文庫印のある資料は、図書や府県「達」などにも混在しており、収集家自身による目録が無いこととあいまって再生は困難である。また昭和戦前期横浜の郷土歴史研究者であった、弦間冬樹・原田久太郎らの資料(それぞれ「諸家文書」中にもあるが)もあるが、これがたまたま残ったものなのか、いずれかの時期に寄贈された資料群の一部なのかは判然としない。
 「館蔵諸文書」は、収集経緯の不明な文書や新規に受け入れた資料を、なるべく早く公開する窓口であり、積極的な公開に力をそそぐ当館の方針を象徴的に表している。

【総数】642点
【年代】1642(寛永19)〜1981(昭和56)
【閲覧】原資料
【複写】マイクロフィルムによる複写申請を受け付ける(電子式複写は不可)
【検索】「館蔵諸文書目録」
【主な資料 近世〜大正期】


このページのトップへ戻る▲