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閲覧室でご覧になれる資料〈5〉画像資料「絵葉書」

【概要】

 当館では横浜の風景絵葉書を中心として、約2万点の絵葉書を所蔵している。絵葉書は20世紀初頭以降の横浜の景観や人々の風俗の変遷などを伝える貴重な歴史画像資料である。
 絵葉書が日本で誕生したのは、今から百年ほど前のことである。1900(明治33)年9月1日に制定された郵便規則によって、私製葉書の作製と使用が認められたのがきっかけとなり広まった。その後、万国郵便連合加盟25年祝典・日露戦争などの記念絵葉書の流行で、絵葉書ブームが到来する。庶民の通信手段・趣味の対象として普及した絵葉書は安価で大量につくられ、多くが収集家の手で伝えられてきた。その一枚一枚には当時の風景や人々の姿などが克明に写しとられ、現在では貴重な歴史資料となっている。また、日露戦争記念絵葉書以降、横浜開港50年祭(1909年)、吉田橋改築(1911年)、二代目市庁舎竣工(1911年)、勧業共進会開催(1913年)、新港埠頭完成(1914年)、二代目横浜駅開業(1915年)など、横浜の歴史の節々でそれを伝える絵葉書が出されており、絵葉書から横浜の歩みを知ることもできる。
 絵葉書を安価な画像媒体として可能にした背景は、写真製版技術の普及である。絵葉書で使用されたコロタイプと呼ばれる写真製版技術は、1870年代にドイツで開発されたといわれる。この方法はゼラチンを版面とする写真印刷法で、一つの版で数千枚しか刷れないこと、印刷スピードが遅いなどの欠点があるが、高画質なので、書画・水墨画などの美術印刷に適している。日本ではアメリカで技術を習得した小川一真が、1888年に写真版印刷業を始めたのが最も早く、その後まもなく写真版に手彩色をほどこすことも行われた。横浜では、そうした彩色写真が外国人向けのお土産として作られ、明治20年代にスーベニアル・アートとして発達した。絵葉書もその技術と伝統を受け継いでいるといえる。
 横浜の絵葉書作製に携わった会社・個人としては、上田写真版合資会社、星野屋、トンボヤ、カール・ルイスなどがあげられるが、当館所蔵絵葉書の中にもそれらの絵葉書が多数含まれている。当時の彩色絵葉書は、写真師が撮影した風景や人物の写真を、絵葉書となる紙にコロタイプで墨刷りし、それに一枚一枚手で彩色をほどこすことによって完成した。彩色については、まずプロの画工が絵付けの見本をつくり、それにもとづき、内職の女性たちが手彩色の作業をおこなった。こうした分業により、現在に伝えられる彩色絵葉書がつくられた。なお、彩色をほどこさないモノクロ絵葉書も多数つくられた。
 大正期に入ると、イエロー、シアン、マゼンダの3色インキからなる多色刷絵葉書も現れるが、本格的には関東大震災以後となる。震災によって絵葉書製造に携わっていた人々も大きな打撃をうけ、手彩色絵葉書は衰退し、多色刷り絵葉書の時代になる。震災復興期の街の変貌や1935年に行われた横浜復興大博覧会の様子を伝える絵葉書が多数つくられる。

【総数】約20,000点
【年代】1902年頃〜1960年代
【閲覧】横浜市史編集室旧蔵絵葉書・駒田家・中村家・中山家・佐久間家文書中の絵葉書については、原資料。ニール・ペドラー・コレクションの一部については、複製写真。また、当館編『100年前の横浜・神奈川―絵葉書でみる風景』(有隣堂、1999年)には当館所蔵を含めて1,200枚あまりの絵葉書が収録されている。
【複写】複製写真からの電子式複写。原資料の複写については別途撮影申請が必要。
【検索】横浜市史編集室旧蔵絵葉書は冊子目録、駒田家・中村家・中山家・佐久間家文書中の絵葉書については、それぞれの文書目録で検索。『100年前の横浜・神奈川―絵葉書でみる風景』および『市民グラフ・ヨコハマ』第56号「着色絵はがきに見る明治後期・横浜の風景と風俗」(横浜市発行、1986年2月)に収録されている当館所蔵絵葉書については、複製資料として利用が可能である。
【備考】当館編『100年前の横浜・神奈川―絵葉書でみる風景』(1999年)

【主な資料】

当館所蔵絵葉書は(1)ニール・ペドラー・コレクション、(2)横浜市史編集室旧蔵絵葉書、(3)駒田家絵葉書の3つが大きな柱となっているので、以下に説明する。

  1. ニール・ペドラー・コレクション 約8,000点
    イギリス人で山手の横浜インターナショナル・スクールの教師をしていたアルフレッド・ニール・ペドラー(Alfred Neil Pedlar)氏旧蔵の絵葉書コレクション。横浜および神奈川県下の川崎、横須賀、鎌倉、江ノ島、箱根などの風景絵葉書や日本各地や世界各地の風景絵葉書、また風俗絵葉書など多種多様な絵葉書が含まれる。
  2. 横浜市史編集室旧蔵絵葉書 約4,000点
    『横浜市史』編集の過程で収集された絵葉書。横浜および川崎、江ノ島、藤沢、鎌倉、横須賀、逗子、茅ヶ崎、小田原、箱根など神奈川県下各地の風景絵葉書が中心。奈良、京都、大阪などの日本各地の絵葉書も若干含む。また、関東大震災時の被害状況絵葉書や震災復興期の街並み、復興記念横浜大博覧会の絵葉書もある。
  3. 駒田家絵葉書 3,500点
    明治・大正・昭和にかけて横浜を基点として食料品・雑貨の輸出入に従事した駒田商店関係資料の中に含まれる絵葉書。駒田商店は三重県出身の駒田常三郎(1863年生まれ)が渡米し、1895(明治28)年頃サンフランシスコで創業した会社。1903年、横浜の長者町に本店を開き、北米各地の支店との間で蟹缶詰を中心に食料品製造・輸出入業などを行った。駒田家絵葉書は、日本とアメリカに住む家族や友人の間でやりとりした絵葉書が大半をしめており、消印から絵葉書の年代が特定できる。消印は1905年から1926(大正15)年にわたる。絵柄はアメリカの風景や日本各地の風景、また船舶や各国の通貨・切手などがある。大塚十三氏寄贈。

 以上のほか、中村豊家・中山浩二郎家・佐久間亮一家文書の中にも、風景絵葉書や記念絵葉書が多数含まれている。


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